2000年代前半に一世を風靡したロサンゼルス・レイカーズのシャキール・オニール&コビー・ブライアントは、1990年代にシカゴ・ブルズを2度のスリーピートに導いたマイケル・ジョーダン&スコッティ・ピッペンと並び、NBA史上最強のデュオとして語り継がれている。
2004年にシャックがチームを去ったことでコンビは解体となったが、関係が良好であればさらに優勝回数は増えていたと、元NBA選手のギルバート・アリナス(元ワシントン・ウィザーズほか)は見解を述べている。
1996年にシャックがオーランド・マジックからFA移籍し、コビーはドラフト直後のトレードでレイカーズ入りしたことで、チームメイトとなった2人。粗削りだったコビーが経験を積んで成長すると、年を重ねるごとにデュオとしての完成度が増し、2000~02年にチームを3連覇に導くなど、輝かしい実績を残した。
しかし、コビーの台頭とともに互いのエゴがぶつかり、両者の関係は徐々に悪化。2003-04シーズンのオフに追い出される形でシャックがマイアミ・ヒートへ移籍し、あっけなくデュオ解体となった。
「シャックとコビーがもしずっと一緒にプレーしていたら、あと何回優勝できたか」
これは今なお残る疑問で、事あるごとに議論が交わされている。アリナスは『Fox Sports Radio』のポッドキャスト番組『DAN PATRICK SHOW』は「もしシャックが2002-03シーズンのチームでもリーダーでトップ(の選手)だったら、4度目の優勝を果たしていただろう」と語った。
アリナスは自身がホストを務めるポッドキャスト『No Chill Gil』で「2002-03シーズンにはコビーが第1オプションになっていた」と、3連覇を達成した翌シーズンに立場が入れ替わったと主張。
実際、コビーは2002-03シーズンに自身初となる平均30点オーバー(30.0点)をマークし、平均27.5点だったシャックを上回っている(チームはウエスタン・カンファレンス・セミファイナル敗退)。アリナスは、シャックが“2番手”に嫌気が差したことが終焉の始まりだったと指摘した。
2004年にシャックがチームを去ったことでコンビは解体となったが、関係が良好であればさらに優勝回数は増えていたと、元NBA選手のギルバート・アリナス(元ワシントン・ウィザーズほか)は見解を述べている。
1996年にシャックがオーランド・マジックからFA移籍し、コビーはドラフト直後のトレードでレイカーズ入りしたことで、チームメイトとなった2人。粗削りだったコビーが経験を積んで成長すると、年を重ねるごとにデュオとしての完成度が増し、2000~02年にチームを3連覇に導くなど、輝かしい実績を残した。
しかし、コビーの台頭とともに互いのエゴがぶつかり、両者の関係は徐々に悪化。2003-04シーズンのオフに追い出される形でシャックがマイアミ・ヒートへ移籍し、あっけなくデュオ解体となった。
「シャックとコビーがもしずっと一緒にプレーしていたら、あと何回優勝できたか」
これは今なお残る疑問で、事あるごとに議論が交わされている。アリナスは『Fox Sports Radio』のポッドキャスト番組『DAN PATRICK SHOW』は「もしシャックが2002-03シーズンのチームでもリーダーでトップ(の選手)だったら、4度目の優勝を果たしていただろう」と語った。
アリナスは自身がホストを務めるポッドキャスト『No Chill Gil』で「2002-03シーズンにはコビーが第1オプションになっていた」と、3連覇を達成した翌シーズンに立場が入れ替わったと主張。
実際、コビーは2002-03シーズンに自身初となる平均30点オーバー(30.0点)をマークし、平均27.5点だったシャックを上回っている(チームはウエスタン・カンファレンス・セミファイナル敗退)。アリナスは、シャックが“2番手”に嫌気が差したことが終焉の始まりだったと指摘した。
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