高卒から直接プロ入りした元NBA選手の"Tマック"ことトレイシー・マッグレディは、現役時代に得点王を2回獲得するなど、超絶スコアラーとしてリーグの歴史に名を刻んでいる。
2017年にバスケットボール殿堂入りを果たしたが、ルーキーイヤーから圧倒的な活躍を見せていたわけではない。マッグレディは当時のリーグの傾向も影響していたと振り返っている。
マウントザイオン・クリスチャンアカデミー高出身のマグレディは、1997年のドラフトでトロント・ラプターズから全体9位指名を受けてプロ入りした。
期待の高卒選手だったが、1年目は64試合(先発17試合)で平均7.0点、翌1998-99シーズンも49試合で平均9.3点止まり。3年目の1999-2000シーズンに79試合で平均15.4点と成績を伸ばしたが、あくまでヴィンス・カーターの影に隠れた存在だった。
完全にレギュラーに定着したのは、7年総額9280万ドルの大型契約を結んだオーランド・マジックに移籍したキャリア4年目の2000-01シーズン。リーグ7位の平均26.8点、7.5リバウンド、4.6アシスト、1.5スティール、1.5ブロックで最も成長した選手に贈られるMIP賞に輝いたほか、オールスター出場、オールNBA2ndチームにも選出された。
マジック時代には02-03シーズンには平均32.1点、翌03-04シーズンも平均28.0点と2年連続で得点王に輝き、04年7月にはヒューストン・ロケッツへトレードで移籍。04年12月9日のサンアントニオ・スパーズ戦では"33秒で13得点"をあげるなど、名場面を作った。
その後は腰やヒザのケガで徐々に輝きを失い、晩年はニューヨーク・ニックス、デトロイト・ピストンズ、アトランタ・ホークスと渡り歩いたマッグレディ。それでも計15年間のNBAキャリアで得点王2回、オールNBAチーム選出7回、オールスター出場7回等、輝かしい実績を残した。
マッグレディはカーメロ・アンソニー(元デンバー・ナゲッツほか)のポッドキャスト番組『7PM in Brooklyn With Carmelo Anthony』に出演した際、活躍するまでに数年を要した理由について持論を述べている。
「俺がリーグに入った頃は、(チャールズ・バークレーやカール・マローンら)40歳近いベテランの選手たちがいた。当時はゲーム自体も違った。だから、ルーキーは入ってすぐにプレーできるような選手でなければいけなかった。コビー(ブライアント)は入ってすぐにプレーできなかったし、俺もすぐにはプレーできなかった」
Tマックは「当時のコーチは若い選手をあまり好まなかった。でも、それがフィジカルの問題だったとは思わない」と語り、ミニキャンプでは「リーグには特別な才能を持った選手ばかりだ」と痛感したという。
「AI(アレン・アイバーソン)は大学で活躍し、一躍名を馳せた。シクサーズに行ってすぐにプレーしたが、あの頃の若手はすぐにプレーできなかった。メロ(カーメロ)の頃にはベテランの選手たちがリーグを去ってすぐにプレーできるようになった」
96年にジョージタウン大からドラフト全体1位指名でフィラデルフィア・セブンティシクサーズ入りし、いきなりエースとして平均23.5点をあげて新人王に輝いたアイバーソンは、当時は稀なケースだったという。
もしマッグレディが1年目から爆発的な活躍を見せていたら、その後のキャリアはまったく違ったものになっていたかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
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マウントザイオン・クリスチャンアカデミー高出身のマグレディは、1997年のドラフトでトロント・ラプターズから全体9位指名を受けてプロ入りした。
期待の高卒選手だったが、1年目は64試合(先発17試合)で平均7.0点、翌1998-99シーズンも49試合で平均9.3点止まり。3年目の1999-2000シーズンに79試合で平均15.4点と成績を伸ばしたが、あくまでヴィンス・カーターの影に隠れた存在だった。
完全にレギュラーに定着したのは、7年総額9280万ドルの大型契約を結んだオーランド・マジックに移籍したキャリア4年目の2000-01シーズン。リーグ7位の平均26.8点、7.5リバウンド、4.6アシスト、1.5スティール、1.5ブロックで最も成長した選手に贈られるMIP賞に輝いたほか、オールスター出場、オールNBA2ndチームにも選出された。
マジック時代には02-03シーズンには平均32.1点、翌03-04シーズンも平均28.0点と2年連続で得点王に輝き、04年7月にはヒューストン・ロケッツへトレードで移籍。04年12月9日のサンアントニオ・スパーズ戦では"33秒で13得点"をあげるなど、名場面を作った。
その後は腰やヒザのケガで徐々に輝きを失い、晩年はニューヨーク・ニックス、デトロイト・ピストンズ、アトランタ・ホークスと渡り歩いたマッグレディ。それでも計15年間のNBAキャリアで得点王2回、オールNBAチーム選出7回、オールスター出場7回等、輝かしい実績を残した。
マッグレディはカーメロ・アンソニー(元デンバー・ナゲッツほか)のポッドキャスト番組『7PM in Brooklyn With Carmelo Anthony』に出演した際、活躍するまでに数年を要した理由について持論を述べている。
「俺がリーグに入った頃は、(チャールズ・バークレーやカール・マローンら)40歳近いベテランの選手たちがいた。当時はゲーム自体も違った。だから、ルーキーは入ってすぐにプレーできるような選手でなければいけなかった。コビー(ブライアント)は入ってすぐにプレーできなかったし、俺もすぐにはプレーできなかった」
Tマックは「当時のコーチは若い選手をあまり好まなかった。でも、それがフィジカルの問題だったとは思わない」と語り、ミニキャンプでは「リーグには特別な才能を持った選手ばかりだ」と痛感したという。
「AI(アレン・アイバーソン)は大学で活躍し、一躍名を馳せた。シクサーズに行ってすぐにプレーしたが、あの頃の若手はすぐにプレーできなかった。メロ(カーメロ)の頃にはベテランの選手たちがリーグを去ってすぐにプレーできるようになった」
96年にジョージタウン大からドラフト全体1位指名でフィラデルフィア・セブンティシクサーズ入りし、いきなりエースとして平均23.5点をあげて新人王に輝いたアイバーソンは、当時は稀なケースだったという。
もしマッグレディが1年目から爆発的な活躍を見せていたら、その後のキャリアはまったく違ったものになっていたかもしれない。
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