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NBA

練習要員から大人気選手へと上り詰めたジョン・スタークス。そのきっかけはひとつの“故障”だった【NBA名脇役列伝・前編】

出野哲也

2020.03.03

好守が指揮官のライリー(右)に評価され、先発SGの座を勝ち取った。(C)Getty Images

好守が指揮官のライリー(右)に評価され、先発SGの座を勝ち取った。(C)Getty Images

 90年の秋にはニックスから声がかかったが、大きな期待はされておらず。チームは単に練習要員を探していただけで、契約を保証されている選手がロースター上限の12人いたこともあり、すぐに放出されるだろうという声がほとんどだった。

「どうせチーム入りできないんだから、最後に目立つことをやってやりたかった」

 スタークスもこう話していたように、本人としても正式契約を勝ち取るのが難しいことを十分に理解していた。そしてその“目立つこと”とは、チームの大黒柱であるパトリック・ユーイングの頭越しにダンクを決めることだった。

 ところが実際はユーイングのブロックを食らい、コートに叩きつけられて担架で運ばれてしまう。だが、何が幸いするかわからない。故障中の選手は解雇できない規定があるため、ニックスは仕方なくスタークスを故障者リストに登録した。
 
 結果的にこの故障が思わぬ幸運をもたらすこととなる。同ポジションのトレント・タッカーの離脱でチャンスを得ると、スタークスは持ち前の闘志あふれるプレーで徐々に首脳陣の信頼を勝ち取っていった。

 91-92シーズンには、ダラス・マーベリックスのスター選手だったローランド・ブラックマンとの交換トレードが噂されたが、ニックス側が拒否。HCのパット・ライリーは「あの男はマイケル・クーパー(80年代にロサンゼルス・レイカーズで活躍した守備職人)級のディフェンダーになれる」とスタークスを高く評価しており、ライリーが掲げる激しいディフェンスを軸としたチーム構想に、スタークスはピタリと当てはまる選手だったのだ。

 4年契約を結んだ92-93シーズンは先発シューティングガードとして起用され、平均17.5点をマーク。シュートがまったく決まらず一桁得点に終わる試合もあったが、一旦火がつけば楽々と30得点以上を叩き出した。精度はそれほど高くなかったが、思い切りの良い3ポイントも大きな武器で、チームの窮地を救った試合も少なくなかった。
 
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