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NBA

【コビー・ブライアント物語・Part1前編】6歳でバスケと恋に落ちた少年は、高卒でのNBA入りを決意する

大井成義

2020.03.14

コビーの父ジョーもNBA選手。シクサーズ、クリッパーズ、ロケッツに在籍したのち、84年にコビーを連れてイタリアへ渡る決断を下した。(C)Getty Images

コビーの父ジョーもNBA選手。シクサーズ、クリッパーズ、ロケッツに在籍したのち、84年にコビーを連れてイタリアへ渡る決断を下した。(C)Getty Images

■3歳の時にNBA選手を志すも、イタリアではサッカーにも挑戦

 コビーの記憶のなかで、初めてバスケットボールで遊んだのは2歳の時だった。「コビーは歩けるようになる前からバスケットボールを手にしていた」、そうジョーは回想する。3歳になると、「将来はNBAのスター選手になる」と宣言したそうだ。引退表明時に綴った文章、“Dear Basketball”では、「6歳でバスケットボールと恋に落ちた」と述べている。

 コビーにとって、物心がついた時からバスケットボールは生活の一部であり、何より紛うことなきサラブレッドだった。母方の叔父に元プロ選手がおり、父のジョーは1975年のドラフト1巡目14位で指名され、NBAで8シーズンプレー。身長206cmのパワーフォワードは控えでの出場が多く、キャリア平均8.7点、4.0リバウンドをマークした。

 1982-83シーズンにヒューストン・ロケッツでプレーした後、契約の更新はされずほかのチームからも声が掛からなかった。当時まだ29歳、バスケットボールへの情熱を失っていなかったジョーは、知り合いから紹介されたイタリアリーグでのプレーを決断する。1984年、妻と2人の娘、そして6歳の末っ子コビーを引き連れて、一家は大西洋を渡ったのだった。
 
 ジョーはイタリアとフランス合わせて5チームを渡り歩き、子どもたちは国境を超えてスイスのバーゼルにあるインターナショナルスクールに通ったこともあった。このヨーロッパ生活のおかげで、コビーは流暢なイタリア語を話せるようになり、スイスドイツ語とフランス語にも慣れ親しんでいる。

 イタリアではサッカーが一番の人気スポーツ。コビーもサッカーに挑戦してみたが、ボール捌きが下手なこともあり、背が高く手足の長いコビーは決まってゴールキーパーを任された。

 コビーが一番夢中になったスポーツは、やはりバスケットボールだった。ジョーがしばしば試合に連れていってくれ、コートで遊んだりボールボーイをさせてもらったりした。学校のクラブにも入ったが、日々気軽にプレーする仲間はいなかった。そこで、自分の影に向かってプレーする“シャドウ・バスケットボール”という独自の練習方法を編み出した。
 
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