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NBA

【コビー・ブライアント物語・Part1前編】6歳でバスケと恋に落ちた少年は、高卒でのNBA入りを決意する

大井成義

2020.03.14

父ジョー(右)のDNAを受け継ぎ、コビー(左)はメキメキと頭角を現わしていった。(C)Getty Images

父ジョー(右)のDNAを受け継ぎ、コビー(左)はメキメキと頭角を現わしていった。(C)Getty Images

 コートで1人プレーしていると、決まってサッカー少年たちに占領された。当時を振り返り、「そうなったらコートを諦めざるを得なかった。家に帰るか、黙ってゴールキーパーをやるほかなかったよ」、そうコビーは回想している。

 負けず嫌いのコビーはサッカーの練習も続け、ミッドフィルダーを任されるまでに上達した。フットスピードのリズムに緩急をつけたり、それぞれの足での効果的なピボットの踏み方など、サッカーの経験はバスケットボールにも生かされたと後に語っている。当時の贔屓チームはACミラン、好きな選手はマルコ・ファン・バステンだった。
 
■父との1対1で腕に磨きをかけ、16歳でNBA選手を打ち負かす

 イタリアで暮らしていた時は、祖父がアメリカのテレビ番組やNBAの試合中継などをビデオに録画して送ってくれた。NBAの情報に飢えていたコビーは、届いたビデオを貪るように繰り返し観た。イタリアリーグはNBAに比べて試合日程が緩く、より多くの時間を一緒に過ごすようになったジョーがプレーの解説を事細かにしてくれ、その経験はコビーのバスケットボールIQを高める大きな役割を果たした。

 コビーが一番好きだったチームはレイカーズで、アイドルはマジック・ジョンソン。父と同じ身長であるにもかかわらずポイントガードとしてプレーし、ずば抜けたコートビジョンを備え、あらゆるプレーを高いレベルでこなす。そんなマジックにコビーは心酔し、ベッドルームには等身大ポスターを貼っていた。

 11歳から背が伸び始め、その後2年間で30cmも伸び、あっという間に182cmに達した。ダンクもできるようになり、ジョーは息子との1オン1に本気を出さなければ勝てなくなっていた。コビーが持つ無限の可能性を伸ばすため、より良い環境でプレーさせたい、そうジョーは考え始めていた。

 1992年、ジョーは現役引退を決意し、8年間のヨーロッパ生活に別れを告げる。その時コビー13歳。11月にアメリカへ帰国すると、一家は故郷フィラデルフィア郊外に居を構えた。ジョーはコーチの道に進み、コビーは新居近くのミドルスクールを経て、ローワー・メリオン高校に入学した。
 
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