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NBA

【コビー・ブライアント物語・Part3前編】探し求めていた“チーム”を作り上げ 大黒柱としてレイカーズを復活に導く

大井成義

2020.03.20

07-08シーズンは全試合に出場。平均28.3点に加え、ボーカルリーダーとしてチームをカンファレンス1位の57勝に導き、初のMVPに輝いた。(C)Getty Images

07-08シーズンは全試合に出場。平均28.3点に加え、ボーカルリーダーとしてチームをカンファレンス1位の57勝に導き、初のMVPに輝いた。(C)Getty Images

 右手小指関節の側副靭帯損傷をはじめ、複数の故障を抱えながらコビーはプレーを続けた。長期離脱を回避するために手術はあえて行なわず、3度目の全試合出場を果たす。チームは57勝25敗を記録し、カンファレンス首位の座を奪還した。

 そしてついに、キャリア初にして唯一となるレギュラーシーズンMVPを獲得する。受賞セレモニーには元GMのウエストも駆けつけた。スピーチで「長い道のりだった」と語ったコビーは、すでに30歳手前。キャリア12年目でのMVP受賞は、カール・マローンと並んで史上最も遅い記録だった。

 レイカーズはプレーオフを順調に勝ち進み、難なくファイナルへとたどり着くが、オフの話題を独占した〝ビッグ3〞擁するセルティックスに勢いで押し切られ、2勝4敗で敗れ去る。

 初めてシャック抜きで戦うファイナルは、コビーにとってひときわ重要な意味を持っており、敗北は受け入れがたい現実だった。あの3連覇はシャックがいたからこそ達成されたのであり、コビー1人の力では優勝できない、そう言われても仕方がなかった。

 その一方で、念願のシーズンMVPと、それ以上に重要なサポーティングキャストをようやく手にすることができた。コビーは確かな手応えを掴み、その目は次のシーズンを見据えていた。
 
■主役としてチームを優勝に導き、初のファイナルMVPを獲得

 オフには、プロ12年目にして初となるオリンピックに参加した。6月中旬までファイナルを戦い、7月中旬から代表のトレーニングがスタート、8月には本番の北京へ。休養期間がほとんどなく肉体的にはきつかったが、国を代表しての参加であり、またリーグのトップ選手たちとのプレーには、所属チームとは違った充実感があった。キッドの次に高齢だったコビーはキャプテンを任され、アメリカに2大会ぶりとなる金メダルをもたらした。

 休む間もなく迎えた08-09シーズン。歯車が小気味良く噛み合い始めたレイカーズは、開幕から7連勝と絶好のスタートダッシュを決め、その後も勢いが衰えることはなかった。球団記録となる開幕17勝2敗をマーク、コビーは先頭に立って進軍ラッパを吹き続けた。

 レギュラーシーズンの成績は、カンファレンス首位の65勝17敗。コビーのキャリアにおいて、初優勝を決めた99-00シーズンの67勝に次ぐ好成績となった。プレーオフも順調に勝ち進み、2年連続でファイナル進出を決める。

 相手は最優秀守備選手賞やリバウンド王、ブロック王などを総なめにしたドワイト・ハワード擁するマジック。だが、リーグ最強のディフェンダーを持ってしても、7年ぶりのタイトル奪取に向け、火の玉と化したコビーの勢いを止めることは不可能だった。

 平均出場時間43.8分、32.4点、5.6リバウンド、7.4アシスト。獅子奮迅の活躍でファイナルMVPを獲得する。自身初の受賞であり、3連覇の時にはすべてシャックが手にしたMVPトロフィーを、優勝トロフィーとともに満面の笑顔で高々と掲げた。

 シャックがいなくとも、自分がリーダーとしてチームを引っ張り、エースとして活躍し、子どもの頃からの憧れだった名門レイカーズをNBAの頂点に導く。コビーが夢にまで見た瞬間だった。優勝後のインタビューで、コビーは次のように語っている。

「人々は、彼(シャック)なしで俺にはできないと言った。今はとても良い気分だよ。なぜなら、人々が間違っていたことを俺は証明したのだから」
 
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