2020年1月26日、ある出来事が世界中を悲しみに包んだ。9人もの犠牲者を出した痛ましいヘリコプター墜落事故。その搭乗者の1人だったNBA史上トップクラスのスーパースター、コビー・ブライアントは、わずか41年でその生涯に幕を下ろすことになってしまった。
しかし、彼が築き上げてきたレガシーは、今後何があろうと色褪せることはない。そんなコビーの栄光に満ちた41年間の軌跡を、4つのパートに分けてプレーバック。第1部では、生誕からロサンゼルス・レイカーズに入団し、先発の座を掴む3年目までをお届けする。
■父親の愛称とステーキから“コビー・ビーン”と命名
1978年8月23日、アメリカ北東部のペンシルバニア州フィラデルフィアにコビーは生まれた。父ジョー、母パメラ・コックスともフィラデルフィア出身であり、コビーは生粋のフィラデルフィアンということになる。
ジョーは息子に、2つの風変わりな名前を付けた。ファーストネームに“Kobe(神戸)”、ミドルネームに“Bean(豆)”。
ファーストネームは、レストランで“Kobe”いう名前のステーキを食べた際、その言葉に惹かれて息子の名前に頂戴したという。店の場所については、1998年に『スポーツイラストレイテッド』誌で「ペンシルバニアのキング・オブ・プルシアにある“Kobe Steak House”」とジョーは説明している。ただし、神戸肉流通推進協議会によると、神戸牛は2012年まで海外に輸出されていなかったそうだが……。
ミドルネームの“Bean”は、ジョーのニックネーム“ジェリービーン”(ゼリービーンズ、ソラマメの形をしたカラフルな砂糖菓子)から名付けられた。ジェリービーンの由来は、高校の頃、大きな身体にもかかわらずバラエティーに富んだ動きをすることから付けられたと、2011年に『ロサンゼルス・タイムズ』で本人が語っている。意味には古いスラングもかかっており、少々アダルトな内容を含むので、詳細は割愛させていただきたい。
名前の由来が神戸ビーフとジェリービーン。それだけ聞くと、なんとなくおっとりとした優男を想像してしまう。それが後年、“ブラックマンバ”という獰猛なニックネームを持つ、史上最高レベルのバスケットボール選手に成長するとは、名付け親のジョーですら想像しなかったに違いない。
しかし、彼が築き上げてきたレガシーは、今後何があろうと色褪せることはない。そんなコビーの栄光に満ちた41年間の軌跡を、4つのパートに分けてプレーバック。第1部では、生誕からロサンゼルス・レイカーズに入団し、先発の座を掴む3年目までをお届けする。
■父親の愛称とステーキから“コビー・ビーン”と命名
1978年8月23日、アメリカ北東部のペンシルバニア州フィラデルフィアにコビーは生まれた。父ジョー、母パメラ・コックスともフィラデルフィア出身であり、コビーは生粋のフィラデルフィアンということになる。
ジョーは息子に、2つの風変わりな名前を付けた。ファーストネームに“Kobe(神戸)”、ミドルネームに“Bean(豆)”。
ファーストネームは、レストランで“Kobe”いう名前のステーキを食べた際、その言葉に惹かれて息子の名前に頂戴したという。店の場所については、1998年に『スポーツイラストレイテッド』誌で「ペンシルバニアのキング・オブ・プルシアにある“Kobe Steak House”」とジョーは説明している。ただし、神戸肉流通推進協議会によると、神戸牛は2012年まで海外に輸出されていなかったそうだが……。
ミドルネームの“Bean”は、ジョーのニックネーム“ジェリービーン”(ゼリービーンズ、ソラマメの形をしたカラフルな砂糖菓子)から名付けられた。ジェリービーンの由来は、高校の頃、大きな身体にもかかわらずバラエティーに富んだ動きをすることから付けられたと、2011年に『ロサンゼルス・タイムズ』で本人が語っている。意味には古いスラングもかかっており、少々アダルトな内容を含むので、詳細は割愛させていただきたい。
名前の由来が神戸ビーフとジェリービーン。それだけ聞くと、なんとなくおっとりとした優男を想像してしまう。それが後年、“ブラックマンバ”という獰猛なニックネームを持つ、史上最高レベルのバスケットボール選手に成長するとは、名付け親のジョーですら想像しなかったに違いない。