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NBA

【コビー・ブライアント物語・Part3後編】相次ぐケガで輝きを失うも、現役最終戦で伝説のパフォーマンスを演じ有終の美を飾る

大井成義

2020.03.20

14年12月の試合でマイケル・ジョーダンを上回り、通算得点で歴代3位(当時)に浮上。だがこの1か月後に右肩を痛め、再び長期離脱を強いられることに。(C)Getty Images

14年12月の試合でマイケル・ジョーダンを上回り、通算得点で歴代3位(当時)に浮上。だがこの1か月後に右肩を痛め、再び長期離脱を強いられることに。(C)Getty Images

 そしてついに、悲劇が訪れる。4月12日のウォリアーズ戦、第4クォーター残り3分8秒に左アキレス腱を断裂。コビーは一度ベンチに戻った後、ロボットのようにぎこちない足取りでコートに戻り、激痛を堪えながら意地でフリースローを2本決めてみせた。全治6か月から9か月。

 13-14シーズン、ケガから8か月後の12月に復帰を果たしたが、6試合目に再び大ケガを負う。グリズリーズのトニー・アレンのヒザがコビーの左ヒザにぶつかり、脛骨プラトーの骨折で全治6週間。チームは大事を取って、残り試合を全休させる措置を取った。

 再び辛い日々を送ることになってしまったコビーだったが、守備の名手であるアレンのディフェンスは非常に高く評価していた。16年2月、自分のシューズに「トニーへ、これまで対峙した中でベストのディフェンダー」とメッセージを書き、プレゼントしている。

 14-15シーズン、復帰したコビーは出場時間を極端に減らすこともなく、順調に試合をこなしていった。11月には、シュートの失敗数で歴代記録を更新。試合後のインタビューで、「失敗を恐れたり、人々が言うことを恐れてはいけない」と語っている。

 だが不運は続き、1月にまたもや負傷する。第3クォーターにベースラインからボースハンドダンクを沈めた際、右肩に痛みが生じた。検査の結果、回旋筋腱板の断裂と診断される。全治9か月の重症だった。
 
■故障でかつての輝きを失うも、ラストゲームで奇跡を起こす

 そしてついに、プロ20年目の節目となる15-16シーズンを迎える。レイカーズ一筋20年は、1チームに在籍した選手の最長記録として、ジャズのジョン・ストックトンの19年を抜き単独1位(その後マブズのダーク・ノビツキーに抜かれ2位に)。

 開幕には間に合ったものの、相次ぐケガや持病との闘いと、寄る年波には勝てず、かつての輝きは失われていた。11月24日のウォリアーズ戦では、25分の出場でFG1/14、4得点。10本以上シュートを放った試合では、過去最低の記録に並ぶものだった。その5日後の15年11月29日、『ザ・プレーヤーズ・トリビューン』というメディアに、〝Dear Basketball〞と題された手紙形式の詩的なメッセージを掲載する。今シーズン限りでの引退表明だった。

 オールスターのファン投票では、最多票数となる189万票を獲得。ファンからの投票が大きな要素を占めるオールスターゲームにおいて、歴代最多となる18回の連続選出記録と4度のMVP受賞は、コビーの勲章である。スターへの第一歩となった最年少でのスラムダンク・コンテスト優勝も忘れられない思い出だ。
 
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