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NBA

“カレッジ界のトップスター”に突き付けられた厳しい現実。欧州での挑戦を糧に、再度NBAのコートに立てるか?

小川由紀子

2020.03.18

『ジマーマニア』と呼ばれた彼の熱狂的なファンは、サクラメントでも彼に熱い声援を送った。(C)Getty Images

『ジマーマニア』と呼ばれた彼の熱狂的なファンは、サクラメントでも彼に熱い声援を送った。(C)Getty Images

 小さいジマーが背の高い相手を避けてシュートを狙うためには、ゴールから離れたエリアから打つ必要がある。そうしてプレーしているうちに、ジマーはどの距離からでも、高い確率でシュートを決められるようになっていた。やがて特別ルールも撤廃し、彼は7歳年上の相手と同等にプレーする日々を繰り返した。

 高校生の時には、隣人の親戚が勤めていた刑務所のリクリエーションに協力してほしいと頼まれ、兄たちと刑務所内でプレーするという稀有な経験もしている。コートの四隅からは、本物の銃を持った警備員が鋭い視線を送り、コート上では囚人たちにダーティーなトラッシュトークを浴びせられる。しかし高校生の彼に言い返すことなどできるはずもなく、不当なプレーがあっても、とにかくプレーだけに集中した。この体験が、その後のバスケ人生において、コート上で集中を保つという術を磨いてくれたと、ジマーは後に語っている。

 しかし、NBAの世界は想像以上に厳しかった。
 
 ルーキーイヤーは、61試合に出場し平均7.6点、2年目も69試合で7.2点と凡庸なシーズンが続くと、3年目のシーズン半ばに解雇の憂き目に遭う。その後シカゴ・ブルズに拾われるも目立った成績は残せず、オフシーズンにはニューオリンズ・ペリカンズへ移籍。50試合に出場したが、出場時間が10分ほどで、平均3.6点にとどまった。

 シーズン終了後の2015年のオフにはまた所属先を探すはめになり、強豪サンアントニオ・スパーズと契約にこぎつけたものの、1試合も出場しないまま解雇。その後、Dリーグ(現Gリーグ)ドラフトで2位指名を受けたニューヨーク・ニックス傘下のウェストチェスター・ニックスへと活路を求めた。

 そこでは“Dリーグのステフィン・カリー”と呼ばれ、オールスターにも選出。大会史上最多の35得点をマークする活躍でイーストを勝利に導き、大会MVPに輝くと、ニックスとの10日間契約を手にする。しかし、2試合に出場しただけで契約延長は得られず、再びDリーグに戻ってシーズンを終えた。

『Dリーグでは傑出しているが、NBAでは通用しない』というのがジマーに与えられた評価だった。

 マニアを抱えるほど、彼のシューティングには人々を惹きつける魅力がある。ウェストチェスター・ニックスの試合には、彼に声援を送るハリウッド俳優ベン・スティラーの姿もあった。
 
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