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NBA

黄金時代の仲間とともに古巣キングス再興へ。2000年代を代表する名シューター、ストヤコビッチの第2のキャリアに迫る

小川由紀子

2020.04.06

かつてのチームメイトであり、現在キングスのGMを務めるディバッツ(右)の誘いで古巣のフロント入りを果たした。(C)Getty Images

かつてのチームメイトであり、現在キングスのGMを務めるディバッツ(右)の誘いで古巣のフロント入りを果たした。(C)Getty Images

 その彼は現在、古巣キングスのフロントの一員として精力的に活動している。2015年、球団の育成などを統括するデベロップメント部門のディレクターに招聘されると、2018年からはアシスタントGM(ゼネラルマネージャー)に昇格。下部組織であるGリーグのストックトン・キングス(旧リノ・ビッグホーンズ)のGMも兼任している。

 ペジャをキングスに招き入れたのは、同じセルビア出身の元チームメイトで、現キングスGMのブラデ・ディバッツだ。

「またこのクラブに戻ってこられて嬉しい。ブラデとアイデアを共有しながら、コートの内外で自分の持てる力を最大限発揮して、いろいろな分野に提供していきたい。選手時代と同様、がむしゃらに頑張ることを約束する」。ペジャはフロント入りに際してそう抱負を語った。

 しかしながら、2011年の現役引退から再びバスケットボールの最前線に復帰するまでには、4年のブランクを要した。引退当初から、将来的にバスケットボール、とりわけNBAでの活動に関わりたいという明確な思いは抱いていたが、15歳でプロ入りして以来約20年間、休みなく走り続けてきた彼は、しばしの休息を求めていた。また、キャリアを縮めた要因ともなった首と背中をはじめ酷使した身体を癒したい、という思いもあった。
 
「次の試合に向けて準備する時、対戦についてではなく、自分の身体のメンテナンスが一番の課題になったら、それが引き際を考える時だ」と、引退を決めた当時の心境を語っている。

 休息の期間は、彼にとって“第二の故郷”であるギリシャで過ごした。90年代、ユーゴスラビアの独立戦争が激化すると、ペジャは16歳で家族とともにギリシャに移住。すでにセルビアのレッドスターでプロデビューし欧州では注目の新鋭となっていた彼は、ギリシャの名門PAOKに招かれ、同時にギリシャの市民権を与えられたことで、一家は戦火を逃れたのだった。

 現役中から、ギリシャにレストランやソーラーパワーを供給する会社を設立するなど、将来のための足固めは進めていた。そして引退後は、それらを運営する傍ら、妻と3人の子どもとともにエーゲ海の島巡りを楽しむなど、これまでは叶わなかったのんびりした時間を楽しんだ。

「しかしいずれは飽きてくるんだ(笑)」と、彼をサクラメントに呼び戻したディバッツが語ったように、別世界での新たなビジネスは、ペジャ曰く「いい経験にはなったが、自分を駆り立てるものではなかった」という。
 
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