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NBA

海外出身NBA選手のモデルケース?ロシアが生んだ“万能戦士”キリレンコが協会会長に上り詰めるまで

小川由紀子

2020.04.14

現役引退後は休む間もなく第2のキャリアを始動。当時トラブルの渦中にあった母国のバスケットボール協会の会長に。(C)Getty Images

現役引退後は休む間もなく第2のキャリアを始動。当時トラブルの渦中にあった母国のバスケットボール協会の会長に。(C)Getty Images

 ジャズで10シーズンを過ごしたあと、NBAがロックアウトにより開幕が遅れた2011-12シーズンは古巣CSKAモスクワでプレーし、そこでもユーロリーグの年間MVPとベストディフェンダー賞を受賞。その後はミネソタ・ティンバーウルブズとブルックリン・ネッツでプレーし、2014年12月にフィラデルフィア・76ersにトレードされたところでNBAに別れを告げると、再度CSKAに戻り2015年6月、34歳で現役引退を発表した。

 第2のキャリアは、引退直後からスタートした。引退後は1~2年、のんびりする選手も多いが、キリレンコは、自分はプレッシャーのある環境に身を置くほうが向いていると自覚していた。

「NHLを40歳でリタイアした友人にアドバイスされたんだ。『引退したあとは、すぐに仕事したほうがいいぞ。休んでしまうと、その後腰が上がらなくなる』ってね」

 さっそくロシアのバスケットボール協会の会長選に名乗りを上げると、引退から3か月後には、母国のバスケットボール界を牽引する側に立っていた。
 
 しかしこの時、ロシアバスケットボール協会はトラブルの渦中にあった。前回の会長選挙で不正の疑いがあり、協会の運営が秩序を失っているとして、FIBA(国際バスケットボール連盟)から資格停止処分を言い渡されたのだ。2か月後の9月には、リオ五輪の出場権がかかったユーロバスケット(欧州選手権)が控えていた。

「このまま誰もが責任逃れをしているうちに事態は悪くなる一方だ。とにかくできるだけ早く会長選を正常化させることが、協会を軌道に乗せることにつながる」

 キリレンコは、会長選に立候補した理由をそのようにコメントしている。2008年の北京五輪ではロシア選手団の旗手を務めるなど、国を代表するアスリートであるキリレンコがトップに立ったことで、FIBAは協会の運営に正常化の兆しがあると判断。停止処分を一部解除して、ロシア代表のユーロバスケット出場を認めた(その後11月に停止処分は撤回)。
 
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