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NBA

海外出身NBA選手のモデルケース?ロシアが生んだ“万能戦士”キリレンコが協会会長に上り詰めるまで

小川由紀子

2020.04.14

現役時代はNBAの多忙なスケジュールに加え、国際大会にも可能な限り参加し黄金期を構築。役割が変わった今も、挑戦する姿勢は変わらない。(C)Getty Images

現役時代はNBAの多忙なスケジュールに加え、国際大会にも可能な限り参加し黄金期を構築。役割が変わった今も、挑戦する姿勢は変わらない。(C)Getty Images

 実際、キリレンコが代表に参加していた2000年代は、ロシア代表の最後の黄金時代だった。ユーロバスケットでは2007年に金メダル、2011年大会では銅メダルを獲得。オリンピックにはシドニー、北京、ロンドンと3大会に出場し、2012年のロンドン五輪では銅メダルを勝ち取った。NBAで活躍していたキリレンコは、ロシアでは超がつくほどのスーパースターであったにもかかわらず、代表戦でも客席に突っ込む勢いでルーズボールを追うなど、泥臭い仕事を率先してこなす姿にファンは魅了された。

 そしていったんコートを離れれば、ジョークを交えて朗らかに話す社交的な性格。その姿は、各国メディアからも絶大な人気と尊敬を集めていた。そんな持ち前の人徳は、自国のバスケットボールの顔である会長という現在の役割に、大きく生かされている。

「代表チームや、若い選手たちがプレーする上で必要なあらゆるプロセスを、いかにシンプルにしてあげられるかを考えるのが私の任務なんだ」
 
「この仕事が大好きだ」と話し、現役時代、常に仲間の持ち味を生かすプレーをしていた彼にとって、現在の役職は打ってつけかもしれない。

「サンクトペテルブルクから来た少年が、NBAでオールスターに選ばれ、オリンピックでメダルも取れた。我ながら、けっこう頑張ったと思うよ。もちろん、マイケル・ジョーダンのような選手と比べたらちっぽけだけれど、バスケットボールで国を代表できたというのは、かけがえのないキャリアだったと思える。とても意義のあることだった」

 ロシアから世界へ羽ばたいた少年の挑戦はまだ終わっていない。これからも母国のバスケットボール界発展のため、キリレンコはコート上と同じくらい、粉骨砕身していくだろう。

文●小川由紀子

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