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NBA

無名大学のマネージャーから“神様”の相棒に。スコッティ・ピッペンのサクセスストーリー【NBAレジェンド列伝・前編】

出野哲也

2020.05.08

大学で急成長を遂げ、ドラフト5位でNBA入りしたピッペン。ブルズ加入後は得意の守備を武器に、すぐさま頭角を現わした(C)Getty Images

大学で急成長を遂げ、ドラフト5位でNBA入りしたピッペン。ブルズ加入後は得意の守備を武器に、すぐさま頭角を現わした(C)Getty Images

 特にNBAスカウトの目を惹いたのは、長い腕を生かしたディフェンスだった。当時ブルズのGMを務めていたジェリー・クラウスは、とりわけピッペンにご執心だった。

「線は細いが強靭な身体、驚くほどの優雅さと滑らかな動き、並み外れて指の大きい長い手……、すべてが備わっている」。

 将来は偉大な選手になると確信したクラウスは、1987年のドラフト5位でシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)が指名したピッペンを、即座にトレードで手に入れた。

 ジョーダンもピッペンの素質の高さはすぐにわかった。この男を鍛えれば必ず自分の助けになるはずと見込んで、チーム練習が終わった後も2人で居残り練習を続けた。「マイケルは自分のクローンを作ろうとしていた」(当時のヘッドコーチ、ダグ・コリンズ)との思惑通り、ピッペンのプレースタイルはジョーダンのそれと酷似するようになっていった。
 
 3年目の90年にはオールスターに選ばれ、「対戦相手のコーチを本当に悩ませているのは、ジョーダンではなくピッペンの方なんだ。彼にマッチアップするのはとても難しいからね」(ブルズのアシスタントコーチ、ジョニー・バック)とまで評価された。

 しかし、彼らの行く手にはデトロイト・ピストンズの強大な壁が立ちはだかっていた。当時のピストンズはデニス・ロッドマンやビル・レインビアらを中心としたラフプレーで“バッドボーイズ”と恐れられていた。精神的に弱い部分のあったピッペンは彼らの格好の標的となり、すっかりピストンズ恐怖症にかかってしまった。

 その象徴的なシーンが89-90シーズンのカンファレンス決勝第7戦だった。雌雄を決する大事な一戦を前にピッペンは「頭痛がひどくて試合に出られない」と訴えたのだ。ちょうど1年前、89年のカンファレンス決勝第6戦で、ピッペンはレインビアのヒジを頭に食らって昏倒し、そのままコートに戻れなかった苦い思い出があった。ジョーダンに喝を入れられて試合には出たものの、フィールドゴールは10本中1本しか決められない醜態。試合に敗れただけでなく、チームメイトの信頼も失ってしまった。
 
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