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NBA

ジョーダン引退時に主役に躍り出たピッペン。一方で“安すぎる”契約に不満が募り…【NBAレジェンド列伝・後編】

出野哲也

2020.05.09

ジョーダンと対等のパートナーとなったピッペン。しかし契約面で首脳陣と対立し、最後の優勝時にはブルズを去ることが決定的となっていた。(C)Getty Images

ジョーダンと対等のパートナーとなったピッペン。しかし契約面で首脳陣と対立し、最後の優勝時にはブルズを去ることが決定的となっていた。(C)Getty Images

 2人の関係もそれまでとは変わった。以前は師弟関係の域を出なかったのが、ピッペンの選手としての成長を認めたジョーダンは対等に近いパートナーとして扱った。「どんな時でも相手が何を望み、何を必要としているかわかっていた。お互いの頭の中では双子のようになっていたんだ」(チームメイトのBJ・アームストロング)。

 黄金コンビの復活に加え、かつての仇敵ロッドマンも加わったブルズは無敵の存在となり、95-96シーズンはリーグ新記録(当時)の72勝。ファイナルでもソニックスを蹴散らし、3年ぶりに王座に返り咲くと、翌97年もユタ・ジャズを倒して2連覇を飾った。

 5個のチャンピオンリングと2つの五輪金メダル、さらにNBA史上ベスト50選手に選ばれる栄誉を手にしても、ピッペンの心の内では不満が鬱屈していた。若いときに長期契約を結んだため、彼の年俸はたった280万ドル(リーグ122番目)と、あまりにも実力に見合わないものだった。自分の価値を認めないクラウスやブルズのオーナーとの仲も険悪になり、しばしばトレードの噂も出た。
 
 ジョーダンやフィル・ジャクソンHCがピッペンの肩を持ったこともあり、放出されることはなかったが、契約が切れたらチームを出て行くつもりなのは公然の秘密だった。この年が“ラストダンス”となることを意識していたブルズのメンバーは、最後の年を最高の形で締めくくるべく一体となって戦い、2度目の3連覇を達成。シーズン終了後にジョーダンは引退、ピッペンは予告どおりサイン&トレードでヒューストン・ロケッツへ移籍した。

 結局、その後のピッペンはブルズ時代のような活躍はできなかった。ロケッツに1年だけ在籍した後はポートランド・トレイルブレイザーズへ移籍。分裂しがちなチームのまとめ役として4年を過ごしたものの、選手としての輝きは失われていた。最後は古巣ブルズで1年だけプレーし、2004年に現役を引退した。

 ジョーダンなしでは一度も優勝できなかったピッペンを、過大評価だという人もいる。だがその逆に、ジョーダンがピッペンなしで優勝したこともない。確かなのは、ピッペンがジョーダンにとって最高のパートナーだったことだ。コビーやレブロンのように、ジョーダン級の才能を持つスーパースターはこれからも現れるかもしれないが、ピッペン級のパートナーを得る幸運に恵まれるのは難しいかもしれない。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2008年2月号掲載原稿に加筆・修正。

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