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NBA

NBA入りで「妹の親権」を勝ち取った男――トーマス・ロビンソンの波乱万丈キャリア

小川由紀子

2020.05.18

NBAの複数クラブを渡り歩いた男は現在、ロシアリーグのヒムキでプレーしている。(C)Getty Images

NBAの複数クラブを渡り歩いた男は現在、ロシアリーグのヒムキでプレーしている。(C)Getty Images

「その時から明らかに彼は変わった」とチームメイトたちが感じたほど、この頃からロビンソンのバスケットボールに注入する熱量が変わった。

 数字よりも、とにかく自分のプレーに磨きをかけることに専念し、膝の手術も克服してオフシーズンには猛特訓を積んだ。

 彼の中にあった思いはただひとつ。

「NBA選手になって、収入も地位も安定すれば、ジェイナの親権を勝ち取れる」ということだった。

 その結果、前述のように3年目でカンザス大のスター選手となり、上位指名候補の1人として、ロビンソンは2012年のドラフト会場にいた。妹の傍で、当時のデビッド・スターン・コミッショナーから名前を呼ばれるのを聞いた彼が壇上で見せた涙は、妹の面倒は必ず自分がみる、と亡き母に誓った約束を果たせたことへの安堵の思いだった。

 そんな思いでたどり着いたNBAだったが、2月に大型トレードでヒューストン・ロケッツに放出、さらにシーズンオフにはポートランド・トレイルブレイザーズにトレードと、ルーキーイヤーにいきなり3チームを転々とするはめに。
 
 その後もフィラデルフィア・セブンティシクサーズ、ネッツ、レイカーズと毎年のように所属先が変わり、NBA在籍5シーズンの平均出場時間は15分にも満たず、4.9点、4.8リバウンドと、腰を据えて実力を発揮する間もないまま、2017年のオフに新たな地を目指すことになったのだった。

 行き先はロシアのヒムキ。創立は1997年と若いクラブだが、同じモスクワを拠点とする強豪CSKAのライバルチームとして急成長し、ユーロカップやユーロリーグでも常連となっている新興勢力だ。

 ロビンソンは、インサイドに運動能力の高いパワフルな人材を求めていたクラブの構想にぴったりはまった。

 カンザス大時代と同じ、背番号「0」をつけたロビンソンは、ヒムキではセンターとして起用され、NBA時代に見せていたような豪快なブロックショットも炸裂。倒れこんだ際に手首を負傷して約2ヶ月の離脱を強いられたが、チーム最多の平均5.8リバウンドを記録するなど、ユーロリーグのプレーオフ出場にも貢献した。
 

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