【シューティングガード】
ジェリー・ウエスト
1938年5月28日生。188cm・84kg。
在籍期間:14シーズン(1960~74年)
成績:932試合、平均27.0点、5.8リバウンド、6.7アシスト
ウエストとエルジン・ベイラー(58~71)は、60年代に6度ファイナルに進出した(そして一度も勝てなかった)レイカーズの2大スターだった。ポジション別のベスト5で、ベイラーほどの名選手をSFで選ばないのはおかしいかもしれない。しかし逆にマジックとコビー・ブライアントがいるからという理由で、レイカーズの象徴だったウエストを入れない選択肢もあり得ない。
“ザ・ロゴ”というニックネームの通り、NBAのロゴマークはウエストがドリブルしている姿をデザインしたものという説が有力だ。もちろん実力も最高級。70年に平均31.2点で得点王になると、72年は9.7アシストでこれも1位。両部門のタイトルに輝いたのはウエストが初めてだった(オスカー・ロバートソンは68年の平均得点1位だが、当時は総得点でタイトルを決めていた)。65年のディビジョン決勝でマークした平均46.3点は、プレーオフの単独シリーズでの最高記録。“ミスター・クラッチ”という別のニックネームで知られた勝負強さも特筆もので、数々の劇的なシーンを生み出した。
【シューティングガード】
コビー・ブライアント
1978年8月23日生。198cm・93kg。
在籍期間:20シーズン(1996~2016年)
成績:1346試合、平均25.0点、5.2リバウンド、4.7アシスト
レイカーズの通算球団記録のうち、試合数、得点数など13部門でコビーは1位を占めている。中にはターンオーバーやフィールドゴール失敗数など、名誉ではないものも含まれているけれども、それも彼が長年レイカーズでプレーし続けた証である。
96年にドラフトで指名されたのはシャーロット・ホーネッツで、すぐレイカーズへトレードされ以後20年をLAで過ごした。うち18年はオールスターに選出、単独チームでの出場15回は最多。前半の10年は背番号8、後半の10年は24番で、両方とも欠番に指定されている。06年に記録した1試合81得点は史上2位、現役最終戦でも60得点をあげるなど、スコアラーとしての能力が傑出していただけでなく、守備でもオール・ディフェンス1stチームに8回選出された。体型やプレースタイルに加えて、比類なき闘争本能まで含めてマイケル・ジョーダンの後継者と自他ともに認める存在であり、その名に恥じない選手となった。
ベイラー以外のスモールフォワードでは、88年のファイナルでMVPに輝いた“ビッグゲーム・ジェームズ”ことジェームズ・ウォージー(82~94)も名選手。現役のレブロンは在籍期間がまだ2年と短く“レイカーズのSF”としては選べない。
ジェリー・ウエスト
1938年5月28日生。188cm・84kg。
在籍期間:14シーズン(1960~74年)
成績:932試合、平均27.0点、5.8リバウンド、6.7アシスト
ウエストとエルジン・ベイラー(58~71)は、60年代に6度ファイナルに進出した(そして一度も勝てなかった)レイカーズの2大スターだった。ポジション別のベスト5で、ベイラーほどの名選手をSFで選ばないのはおかしいかもしれない。しかし逆にマジックとコビー・ブライアントがいるからという理由で、レイカーズの象徴だったウエストを入れない選択肢もあり得ない。
“ザ・ロゴ”というニックネームの通り、NBAのロゴマークはウエストがドリブルしている姿をデザインしたものという説が有力だ。もちろん実力も最高級。70年に平均31.2点で得点王になると、72年は9.7アシストでこれも1位。両部門のタイトルに輝いたのはウエストが初めてだった(オスカー・ロバートソンは68年の平均得点1位だが、当時は総得点でタイトルを決めていた)。65年のディビジョン決勝でマークした平均46.3点は、プレーオフの単独シリーズでの最高記録。“ミスター・クラッチ”という別のニックネームで知られた勝負強さも特筆もので、数々の劇的なシーンを生み出した。
【シューティングガード】
コビー・ブライアント
1978年8月23日生。198cm・93kg。
在籍期間:20シーズン(1996~2016年)
成績:1346試合、平均25.0点、5.2リバウンド、4.7アシスト
レイカーズの通算球団記録のうち、試合数、得点数など13部門でコビーは1位を占めている。中にはターンオーバーやフィールドゴール失敗数など、名誉ではないものも含まれているけれども、それも彼が長年レイカーズでプレーし続けた証である。
96年にドラフトで指名されたのはシャーロット・ホーネッツで、すぐレイカーズへトレードされ以後20年をLAで過ごした。うち18年はオールスターに選出、単独チームでの出場15回は最多。前半の10年は背番号8、後半の10年は24番で、両方とも欠番に指定されている。06年に記録した1試合81得点は史上2位、現役最終戦でも60得点をあげるなど、スコアラーとしての能力が傑出していただけでなく、守備でもオール・ディフェンス1stチームに8回選出された。体型やプレースタイルに加えて、比類なき闘争本能まで含めてマイケル・ジョーダンの後継者と自他ともに認める存在であり、その名に恥じない選手となった。
ベイラー以外のスモールフォワードでは、88年のファイナルでMVPに輝いた“ビッグゲーム・ジェームズ”ことジェームズ・ウォージー(82~94)も名選手。現役のレブロンは在籍期間がまだ2年と短く“レイカーズのSF”としては選べない。