NBA史上でたった一度だけ、ファイナルを制したチームが直後のドラフトで1位指名選手を獲得したことがある。そんな唯一の幸運を手に入れたのは、1982年のロサンゼルス・レイカーズ。ジェームズ・ウォージーを手中に収めた名門が、80年代の隆盛を築くきっかけとなったドラフトを振り返る。
■同年に優勝した王者に、なぜ1位指名権が転がり込んだのか?
レブロン・ジェームズとアンソニー・デイビスの加入により、一躍タイトルコンテンダーへと変貌した名門レイカーズ。2019-20シーズンはウエスタン・カンファレンスの首位を独走していたものの、新型コロナウイルスの影響によりシーズンの行方は不透明な状態が続いている。
そんな強豪レイカーズも、2013-14シーズンから昨シーズンまでは、6年連続でプレーオフ進出を逃すどころか、毎年のように最下位争いに甘んじていた。その6回を除き、72年に及ぶ球団史の中でプレーオフ進出を果たせなかったシーズンが5回しかないことを考えると、いかにのっぴきならない事態だったかがわかる。リーグ屈指の人気を誇るチームなだけに、やきもきしていたファンも多かっただろう。
低迷を続けるチームにとって、ドラフトによる優秀な若手の獲得は、最も手っ取り早く、なおかつ即効性の高いカンフル剤となり得る。ロッタリーチームと化していたレイカーズも3年連続で2位指名権を手にし、即戦力として期待する新人を毎年加えたが、あとほんのわずかの運に恵まれず、1位指名権の奪取には至らなかった。
とりわけ、2015年と16年のドラ1には逸材が揃っており、もし1位指名権が転がり込んでいたら、カール・アンソニー・タウンズまたはベン・シモンズという将来のフランチャイズプレーヤー候補を手中に収めることができただけに、首脳陣は2位指名権の獲得を手放しで喜べない年が続いたのではないだろうか。
1948年のNBA参入以降、レイカーズは3度ドラフト1位指名権を手にしている。古豪にしては少なく感じるが、同様に歴史の古いセルティックスやピストンズ、ホークスといったチームが2回であることを考えると、3回はまだ恵まれている方かもしれない。それより何より、レイカーズが獲得したドラ1の顔ぶれがこれまた凄い。3人とも殿堂入りはもちろん、“50人の偉大な選手”にも選ばれているレジェンドたちだ。
■同年に優勝した王者に、なぜ1位指名権が転がり込んだのか?
レブロン・ジェームズとアンソニー・デイビスの加入により、一躍タイトルコンテンダーへと変貌した名門レイカーズ。2019-20シーズンはウエスタン・カンファレンスの首位を独走していたものの、新型コロナウイルスの影響によりシーズンの行方は不透明な状態が続いている。
そんな強豪レイカーズも、2013-14シーズンから昨シーズンまでは、6年連続でプレーオフ進出を逃すどころか、毎年のように最下位争いに甘んじていた。その6回を除き、72年に及ぶ球団史の中でプレーオフ進出を果たせなかったシーズンが5回しかないことを考えると、いかにのっぴきならない事態だったかがわかる。リーグ屈指の人気を誇るチームなだけに、やきもきしていたファンも多かっただろう。
低迷を続けるチームにとって、ドラフトによる優秀な若手の獲得は、最も手っ取り早く、なおかつ即効性の高いカンフル剤となり得る。ロッタリーチームと化していたレイカーズも3年連続で2位指名権を手にし、即戦力として期待する新人を毎年加えたが、あとほんのわずかの運に恵まれず、1位指名権の奪取には至らなかった。
とりわけ、2015年と16年のドラ1には逸材が揃っており、もし1位指名権が転がり込んでいたら、カール・アンソニー・タウンズまたはベン・シモンズという将来のフランチャイズプレーヤー候補を手中に収めることができただけに、首脳陣は2位指名権の獲得を手放しで喜べない年が続いたのではないだろうか。
1948年のNBA参入以降、レイカーズは3度ドラフト1位指名権を手にしている。古豪にしては少なく感じるが、同様に歴史の古いセルティックスやピストンズ、ホークスといったチームが2回であることを考えると、3回はまだ恵まれている方かもしれない。それより何より、レイカーズが獲得したドラ1の顔ぶれがこれまた凄い。3人とも殿堂入りはもちろん、“50人の偉大な選手”にも選ばれているレジェンドたちだ。
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