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NBA

ボウエン、バティエ、トニー・アレンーー彼らが“エースキラー”と呼ばれるに至った理由

北舘洋一郎

2020.05.28

 ボウエンは1993年に大学を卒業するもNBAから声がかからず、ヨーロッパやCBA(アメリカのマイナーリーグ)でプレー。そんな彼に最初に目をつけたのが、当時ヒートを指揮していたライリーだった。

 しかしこの時はチームにフィットできず、1997年にボストン・セルティックスへ移籍。1999年にヒートに復帰すると、エースキラーとして台頭をし始める。

「相手の癖をずっとビデオを観て、頭に記憶させることから俺の仕事は始まる」とボウエン。これは歴戦のエースキラーが必ずやる準備であり、あのデニス・ロッドマン(元シカゴ・ブルズほか)も試合前にはアップなどせず、対戦相手のゲームを録画したビデオをずっとチェックしていた、という話も有名だ。

 エース封じに手段を選ばないボウエンには批判の声も多く挙がったが、コビー・ブライアント(元レイカーズ)から「ボウエンをギャフンと言わせるのが趣味になりつつある」と言われ、「最高の名誉だ」と言い返したこともあった。
 
 同じく名ディフェンダーのT・アレンは、2004年のドラフトでセルティックスから1巡目25位指名を受けNBA入り。身体能力の高さからオフェンスでの活躍を期待されたものの、故障などもあって伸び悩んでいたが、2007年にケビン・ガーネット、ポール・ピアース、レイ・アレンのビッグ3が形成されたことをきっかけに、エースキラーとしての道を歩むことになる。

「プレーのビジョンが明確になった。スコアラー役をオールスターの3人が担った場合、自分は何をして勝利に貢献すべきかを考えてやったまで」とT・アレンが語ったように、ディフェンスでピアースやR・アレンの負担を軽減させ、2008年のリーグ制覇に貢献。ドック・リバースHCの目指す「“チームバスケット=勝利”は選手同士の自己犠牲によって実現できる」というコンセプトに欠かすことのできない選手となった。

 そしてバティエ。彼は名門デューク大を経てNBA入りという、エリート街道を歩んだ選手だ。そして同大の伝説的HC、マイク・シャシェフスキーも太鼓判を押したほどのチームプレーヤーだった。
 
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