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NBA

薬物によりドラフトの2日後に死去…。80年代アメリカの暗部を反映した“波乱万丈”の年【NBAドラフト史:1986年】

大井成義

2020.06.02

ドアティは5~7年目に3年連続で平均20点、10リバウンドを記録してドラフト1位にふさわしい活躍を見せたが、故障のために28歳で引退。(C)Getty Images

ドアティは5~7年目に3年連続で平均20点、10リバウンドを記録してドラフト1位にふさわしい活躍を見せたが、故障のために28歳で引退。(C)Getty Images

 もう1人は、ノースカロライナ大4年のセンター、ブラッド・ドアティ。ジョーダンの後輩で、2シーズン一緒にプレーした経験を持つ。213cmの身長を生かしたフックショット以外、これといった武器はなく、地味で少々ソフトなイメージがあったものの、堅実なプレーを持ち味としていた。4年時には平均20.2点、9.0リバウンドを記録している。

■ドラフト2位指名選手がわずか2日後に薬物で急死

 ロッタリー制度が導入されて2年目となるこの年、抽選の結果上位の指名順は1位シクサーズ(クリッパーズより譲渡)、2位セルティックス(ソニックス/現サンダーより譲渡)、3位ウォリアーズに決定する。後に1位指名権は再びトレードされ、6月17日にドラフトが開催された時には、キャブズの手に渡っていた。

 ビッグマンを必要としていたキャブズがドアティを1位で指名すると、2位のセルティックスはすかさずバイアスを指名。ドラフトの模様をTV放送した『TBS』がボストンと回線を結び、当時球団社長だったレッド・アワーバックとのインタビューを中継している。アワーバックは興奮を隠し切れない様子で、チームにとってバイアスの獲得がいかに重要な出来事であるかを雄弁に語った。
 
 その9日前に行なわれたNBAファイナルにおいて、セルティックスは1980年代で3度目となる優勝を勝ち取っている。だが、エースのラリー・バードをはじめとした主力の高齢化と、それに伴う故障の多さは避けられず、チームの若返りが急務だった。そこで次期エースにバイアスを据えるべく、アワーバックは3年前からこの年のドラフトに照準を合わせ、自身のキャンプにバイアスを招待するなどして関係性を深めていたのだった。

 一方のバイアスも、ドラフト前からセルティックスが意中のチームであることを公にし、直前のファイナルでもセルティックスベンチのすぐ後ろで試合を観戦。相思相愛の関係であり、セルティックスの2位指名は双方にとって夢が叶った瞬間でもあった。

 ドラフトの翌日、バイアスは父親と代理人の3人でボストンに飛び、リーボックの本社を訪ねた。5年160万ドルのスポンサー契約を結ぶことで合意すると、とんぼ返りでワシントンDCに引き返し、父親を自宅へ送り届けた後に学生寮のワシントンホールに戻る。時間は午後11時30分。寮ではルームメイトや友人たちが、バイアスのセルティックス入りを祝おうと待ち構えていた。

 日付が変わった午前2時、バイアスは車で外出し、キャンパスの外で催されていたパーティーに顔を出す。その後リカーショップに立ち寄りコニャックなどを購入、寮に戻ったのは3時頃だった。そして6時過ぎ、バイアスは突如発作を起こして意識を失う。午前6時32分、友人が911(緊急通報用電話番号)に連絡。その時の生々しい通話記録が残されている。
 
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