1980年代後半にNBAを席巻した“バッドボーイズ”ピストンズ。その総帥として悪名高いのがアイザイア・トーマスだ。そのトーマス以外に、1981年ドラフトはこれといったNBAスターを輩出していない。しかし、入団に至らなかった選手も含めれば、異色のアスリートが多数指名された年だった。
■下位指名に興味深い顔ぶれが揃っていた1981年ドラフト
NBAの前身であるBAAの第1回ドラフトが開催されたのは、第二次世界大戦後間もない1947年。それから2019年に開催された第73回NBAドラフトまで、いったいどれだけの選手が指名され、そのうち何人がNBAのコートに立ったのか、ふと気になったので調べてみた。
ずいぶん前には1人で複数回指名された例もあるようなので、若干の誤差はあるかもしれないが、これまで指名された選手は全部で8023人。その約4割にあたる3379人が、公式戦で最低1度はプレーしている。つまり、過去73年間に誕生したNBA選手の総数は3379人ということになる。
不憫なのは、檜舞台に1秒も立てなかった残り6割の選手たちだ。夢のNBAから指名されながら、チャンスを掴めなかった4644人の若者たち。彼らの多くは、NBAのレベルでプレーするだけの実力が足りなかったか、もしくは相応の能力はあっても、熾烈な競争に生き残れなかった、ということになるのだろう。なかには、ドラフトで指名されながら、NBAにトライしない道を選んだアスリートも一定数いたようだ。
今回採り上げる1981年ドラフトで指名された選手の数は全部で223人。うちNBAのコートに立てたのは58人で、残りの165人は夢を叶えられなかったり、諸事情によりNBAへの挑戦を選択しなかった人たちになる。
そのなかの1人が、日本人初のNBAドラフト指名選手、岡山恭崇だ。2019年6月、ゴンザガ大の八村塁が1巡目9位で選ばれて大きな話題となったが、その40年近く前に日本人選手が指名されていたのである。
2003年、『NBA.com』は“ドラフト史の面白トピック:風変わりなドラフト指名選手”というタイトルのコラムで10人のアスリートを紹介しており、いの一番で岡山を採り上げている。説明文の書き出しは、“ヤオ・ミンやジョージ・ミュアサン、マヌート・ボルの前に、ヤスタカ・オカヤマがいた”。
そのリストには、1981年組のドラフト選手からもう1人リストアップされている。それ以外にも、数人の異色アスリートが指名された1981年のドラフトは、どうやら変わり種の当たり年だったようだ。
■下位指名に興味深い顔ぶれが揃っていた1981年ドラフト
NBAの前身であるBAAの第1回ドラフトが開催されたのは、第二次世界大戦後間もない1947年。それから2019年に開催された第73回NBAドラフトまで、いったいどれだけの選手が指名され、そのうち何人がNBAのコートに立ったのか、ふと気になったので調べてみた。
ずいぶん前には1人で複数回指名された例もあるようなので、若干の誤差はあるかもしれないが、これまで指名された選手は全部で8023人。その約4割にあたる3379人が、公式戦で最低1度はプレーしている。つまり、過去73年間に誕生したNBA選手の総数は3379人ということになる。
不憫なのは、檜舞台に1秒も立てなかった残り6割の選手たちだ。夢のNBAから指名されながら、チャンスを掴めなかった4644人の若者たち。彼らの多くは、NBAのレベルでプレーするだけの実力が足りなかったか、もしくは相応の能力はあっても、熾烈な競争に生き残れなかった、ということになるのだろう。なかには、ドラフトで指名されながら、NBAにトライしない道を選んだアスリートも一定数いたようだ。
今回採り上げる1981年ドラフトで指名された選手の数は全部で223人。うちNBAのコートに立てたのは58人で、残りの165人は夢を叶えられなかったり、諸事情によりNBAへの挑戦を選択しなかった人たちになる。
そのなかの1人が、日本人初のNBAドラフト指名選手、岡山恭崇だ。2019年6月、ゴンザガ大の八村塁が1巡目9位で選ばれて大きな話題となったが、その40年近く前に日本人選手が指名されていたのである。
2003年、『NBA.com』は“ドラフト史の面白トピック:風変わりなドラフト指名選手”というタイトルのコラムで10人のアスリートを紹介しており、いの一番で岡山を採り上げている。説明文の書き出しは、“ヤオ・ミンやジョージ・ミュアサン、マヌート・ボルの前に、ヤスタカ・オカヤマがいた”。
そのリストには、1981年組のドラフト選手からもう1人リストアップされている。それ以外にも、数人の異色アスリートが指名された1981年のドラフトは、どうやら変わり種の当たり年だったようだ。
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