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NBA

“首絞め事件”による転落からニックスでの栄光、そして終焉。波乱に満ちたスプリーウェルのキャリア【NBAレジェンド列伝・後編】

出野哲也

2020.07.07

 そんな彼に救いの手を差し伸べたのは、ニューヨーク・ニックスだった。ゼネラルマネージャーのアーニー・グランフェルドの妻とスプリーウェルには共通の友人がいて、グランフェルドはスプリーウェルの自宅に赴き、直接彼と話をした。

「彼が知的な人物であり、世間の誤解を解きたがっていることがよくわかった。もう一度チャンスを与えるにふさわしい男だと私は判断した」

 事件について謝罪し、正式に復帰を認められたスプリーウェルだったが、再スタートも順風満帆とはいかなかった。開幕早々に右足踵を疲労骨折し、復帰後は慣れないベンチ出場でリズムを掴めず、移籍初年度は平均16.4点と平凡な成績に終わる。チームも8位でプレーオフに滑り込むのがやっとだった。
 
■ニックスでの栄光の日々と、理解しがたい理由での引退

 ところがプレーオフに突入すると、スプリーウェルとニックスは水を得た魚のごとく生き生きとし始める。1回戦で宿敵マイアミ・ヒートをアップセットで破ると、イースタン・カンファレンス準決勝でもアトランタ・ホークスに4連勝。カンファレンス決勝ではインディアナ・ペイサーズを下し、史上初めてとなる第8シードからのファイナル進出という奇跡を成し遂げた。

 ファイナルでは実力差のあるサンアントニオ・スパーズに屈したとはいえ、スプリーウェル自身は最終第5戦で35得点をマークするなど大奮闘し、マディソンスクエア・ガーデンの満員の観衆から惜しみない拍手を送られた。彼は自らの力で、忌まわしい首絞め事件を人々の記憶から葬ったのだ。

 このオフには、2000−01シーズンから始まる5年6200万ドルの延長契約にサイン。再びスター街道に戻ってきたスプリーウェルだったが、奇妙なトラブルと縁が切れることはなかった。2002年10月には所有するヨットの乗客と喧嘩して手を負傷し、2003年2月には、またしても免停中の運転で逮捕。ニックスの成績も下降線をたどり、かつて彼を救世主扱いしたファンも次第に愛想を尽かし始めた。
 

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