2003年7月にはミネソタ・ティンバーウルブズへ移籍し、ケビン・ガーネット、サム・キャセールとともに、チームを球団史上初のカンファレンス決勝へと導く。ところが、オフに提示された延長契約の条件を不服とし「正当な対価を払わないチームのために尽くすつもりはない」と公言。2004−05シーズンには気のないプレーに終始して顰蹙を買った。
シーズン終了後にいくつかの球団から誘われたが、もはや彼の情熱は尽きていたようだ。結局どことも契約することはなく、後味の悪さを残したままNBA生活は終焉を迎えた。
スプリーウェルはいつでも心の内に、満たされない不満を抱えていたように思える。それは時として熱く燃え上がりすぎ、災厄を呼び込んだ一方で、目を見張るようなパフォーマンスの源泉ともなっていた。もし彼が自らを制御する術を知ってさえいたなら、真にレジェンドと呼びうる選手になっていたのかもしれない。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2012年2月号掲載原稿に加筆・修正。
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シーズン終了後にいくつかの球団から誘われたが、もはや彼の情熱は尽きていたようだ。結局どことも契約することはなく、後味の悪さを残したままNBA生活は終焉を迎えた。
スプリーウェルはいつでも心の内に、満たされない不満を抱えていたように思える。それは時として熱く燃え上がりすぎ、災厄を呼び込んだ一方で、目を見張るようなパフォーマンスの源泉ともなっていた。もし彼が自らを制御する術を知ってさえいたなら、真にレジェンドと呼びうる選手になっていたのかもしれない。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2012年2月号掲載原稿に加筆・修正。
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