行き先は、ジェリコ・オブラドビッチを指揮官に迎え、急速に力をつけていたトルコのフェネルバフチェ。入団初年度からファイナル4進出に貢献すると、2016-17シーズンにはクラブ史上初のユーロリーグ優勝を達成。2018-19シーズンはユーロリーグ年間MVPに選ばれ、ヴェセリーは名実ともに欧州バスケットボール界No.1の選手となった。
だが、彼がヨーロッパに戻ったあと「このまま(NBAで)続けていけるポテンシャルはあった」と書いた批評家もいたように、ヴェセリーはNBAでも成功しうる素質は備えていた。それが開花しなかったのは、彼自身、そして使う側、両方の問題だったように思う。
ドラフトされるまで3年間在籍していたセルビアのパルチザンでは、ヴェセリーはスモールフォワードとしてプレー。欧州ではセンターでも通用するサイズだったこともあり、キャリアを通じて彼は“3番から5番までできるバーサタイルな選手”だった。
ウィザーズ時代は主にパワーフォワードを務めていたが、ポストで身体を張ってディフェンスするにはやや線が細い。その一方で、3番でプレーするにはシュート力が足りなかった。これを「どっちつかずな人材だった」の一言で片付けるのは簡単だが、NBAの水に慣れたキャリア2年目は、彼の能力を理解した上でより効果的な使い方を講じることもできたのでは、と思う。
ウィットマンHCは「ヴェセリーの問題はプレーに安定感がないことであり、そしてそれは自信の欠如が大きな要因」だと指摘していた。
「彼は十分なウィングスパンもあるし、サイズもスピードも備えている。ディフェンス面では、相手のパスコースを切る動きも上手い。彼は自分をもっと信じることが必要だ。海外から来て、このレベルで戦った経験はこれまでなかったのだからそれもわかるが、彼のいくつかのプレーには、自信のなさが要因になっていると思われるものがある」
“いくつかのプレー”で代表的なのが、エアボールを連発したフリースローだ。2013年12月9日~2014年1月8日には、12本放ったフリースローをすべて失敗するという負のスパイラルに陥っている。彼がNBA在籍時に頂戴したニックネーム“Air Wolf (エアウルフ)”は、宙高く舞うダンクを賞賛していたと同時に、エアボールをも意味していた。
だが、彼がヨーロッパに戻ったあと「このまま(NBAで)続けていけるポテンシャルはあった」と書いた批評家もいたように、ヴェセリーはNBAでも成功しうる素質は備えていた。それが開花しなかったのは、彼自身、そして使う側、両方の問題だったように思う。
ドラフトされるまで3年間在籍していたセルビアのパルチザンでは、ヴェセリーはスモールフォワードとしてプレー。欧州ではセンターでも通用するサイズだったこともあり、キャリアを通じて彼は“3番から5番までできるバーサタイルな選手”だった。
ウィザーズ時代は主にパワーフォワードを務めていたが、ポストで身体を張ってディフェンスするにはやや線が細い。その一方で、3番でプレーするにはシュート力が足りなかった。これを「どっちつかずな人材だった」の一言で片付けるのは簡単だが、NBAの水に慣れたキャリア2年目は、彼の能力を理解した上でより効果的な使い方を講じることもできたのでは、と思う。
ウィットマンHCは「ヴェセリーの問題はプレーに安定感がないことであり、そしてそれは自信の欠如が大きな要因」だと指摘していた。
「彼は十分なウィングスパンもあるし、サイズもスピードも備えている。ディフェンス面では、相手のパスコースを切る動きも上手い。彼は自分をもっと信じることが必要だ。海外から来て、このレベルで戦った経験はこれまでなかったのだからそれもわかるが、彼のいくつかのプレーには、自信のなさが要因になっていると思われるものがある」
“いくつかのプレー”で代表的なのが、エアボールを連発したフリースローだ。2013年12月9日~2014年1月8日には、12本放ったフリースローをすべて失敗するという負のスパイラルに陥っている。彼がNBA在籍時に頂戴したニックネーム“Air Wolf (エアウルフ)”は、宙高く舞うダンクを賞賛していたと同時に、エアボールをも意味していた。