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NBA

主役級は不在も、名バイプレーヤーを数多く輩出した“脇役の豊作年”【NBAドラフト史|1988年】

大井成義

2020.07.21

1位指名のマニングは、クリッパーズ時代は主力を務めたが、キャリアの中盤以降は強豪チームでシックスマンとして活躍。(C)Getty Images

1位指名のマニングは、クリッパーズ時代は主力を務めたが、キャリアの中盤以降は強豪チームでシックスマンとして活躍。(C)Getty Images

 1988年のドラフトロッタリーで用意された封筒は、ウォリアーズ、ペイサーズ、クリッパーズ(2枚。1枚はキングスから)、ネッツ、シクサーズ、サンズの計7枚。NBAコミッショナーのデイビッド・スターンが最初に引いた封筒から出てきたのは、クリッパーズのロゴが描かれたカードだった。確定した指名順は、1位クリッパーズ、2位ペイサーズ、3位シクサーズ、4位ネッツ、5位ウォリアーズ、6位クリッパーズ、7位サンズ。

 6月28日、ニューヨークのマディソンスクエア・ガーデン内にあるフェルト・フォーラムで、1988年NBAドラフトは開催された。時代背景的には、そのちょうど一週間前に行なわれたNBAファイナル第7戦において、マジック・ジョンソン率いるレイカーズとアイザイア・トーマスのピストンズが死闘を演じ、レイカーズが2連覇を果たしている。また、レギュラーシーズンMVPを受賞したのは、プロ4年目の若武者マイケル・ジョーダン。自身初のMVP獲得だった。

 1位指名権を持つクリッパーズは、指名選手の名前を事前に公表していた。直前のNCAAトーナメントで、カンザス大を優勝に導いたマニングである。身長208㎝のPFは、4年時に平均24.8点、9.0リバウンドを記録し、最も権威があるとされるジョン・ウッデン賞とネイスミス賞の両アウォードを受賞。2年連続リーグ最下位の座に甘んじ、2シーズンで計29勝しかしていないドアマットチームにとって、待望のエース候補だった。
 
 ドラフトの1か月前に開催されたロッタリーで、1位指名権の行方がクリッパーズに決まった瞬間、エルジン・ベイラーGMはあらかじめ準備していたマニングの新ユニフォームを披露している。この日も、ドラフト開始後にスターンが壇上で1位指名選手の選択を促してから28秒後には、指名選手の名前が告げられた(各チームの持ち時間は5分)。

 2位のペイサーズも、同じようにマリスト・カレッジ4年のスミッツを指名すると前もって明言していた。身長224㎝の大型センターは、その年のドラフト選手どころか、歴代NBA選手の中でも10番目(タイ)の高身長を誇る。オランダはアイントホーフェン出身のスミッツは、14歳でバスケットボールを始め、17歳で渡米を決意。ニューヨーク州の田舎街にある、バスケットボールではほぼ無名の大学に、奨学金支給要請の手紙を自らしたためたという一風変わった経歴を持つ。大学時代につけられたニックネームは〝ダンキン・ダッチマン〞。

 ビッグマンにしては非常に柔らかいシュートタッチを持ち、4年時の成績は平均24.7点、8.7リバウンド、3.9ブロック、FG成功率62.3%。GMのドニー・ウォルシュは『ワシントン・ポスト』紙とのインタビューで、「20年に1人の選手。ユーイングやアキーム・オラジュワン、ジョーダン、ラリー・バード、マジックといった選手とのトレードオファーなら、聞く耳を持ってもいい」と豪語するなど、ペイサーズ首脳陣はスミッツのサイズと能力にすっかり惚れ込んでいた。
 

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