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NBA

薬物によりドラフトの2日後に死去…。80年代アメリカの暗部を反映した“波乱万丈”の年【NBAドラフト史:1986年】

大井成義

2020.06.02

波乱万丈な年となった86年ドラフト。相思相愛のセルティックスから2位指名を受けたバイアス(右)だったが、その2日後に悲劇的結末を迎える。(C)Getty Images

波乱万丈な年となった86年ドラフト。相思相愛のセルティックスから2位指名を受けたバイアス(右)だったが、その2日後に悲劇的結末を迎える。(C)Getty Images

 初代ドリームチーマーをはじめ、多くの名選手が誕生した1980年代のNBAドラフト。そんななかにあって、異質なのが1986年だ。MVP受賞者は皆無。しかも、ドラフトからわずか2日後に急死したレン・バイアスをはじめ、80年代のスポーツ界に蔓延していた“薬物”によって、身を持ち崩した選手が特に目立った年だった。

■逸材を輩出した1980年代で86年は異質の年だった

 1980年代は多くの名選手を輩出している。もはや伝説と化している初代ドリームチームも、中心メンバーは1980年代中頃のドラフト指名選手だ。1984年組からマイケル・ジョーダン、チャールズ・バークレー、ジョン・ストックトン、1985年組がパトリック・ユーイング、カール・マローン、クリス・マリン、1987年組はデイビッド・ロビンソンとスコッティ・ピッペン。その3年だけで計8人、チームの3分の2を占めている。

 1992年のバルセロナ・オリンピック開催時、彼らの平均年齢は28.7歳。タイミング的に、バスケットボール選手としてピークを迎えていた世代ということもあるが、それにしてもこの顔ぶれの豪華さは凄まじい。NBAの長い歴史を見渡しても、これだけの逸材がわずか数年間に集中して誕生した期間は、ほかに例がないだろう。他にも、1984年のアキーム・オラジュワンや1987年のレジー・ミラーなど、それぞれのフランチャイズを象徴する名選手も輩出している。
 
 そんな奇跡のような世代に、ぽっかりと空いた1年がある。1986年だ。初代ドリームチームには1人も選ばれず、MVP受賞者やオールNBAチームの常連選手も見当たらない。単に谷間の年だったと言えばそれまでだが、よくよく調べてみると、そういった簡単な言葉では片付けることのできない、数奇にして壮絶な悲劇が背後に潜んでいることに気付く。“波乱万丈”、その言葉が1986年組を言い表すのに一番ふさわしいかもしれない。

 この年の1位指名候補は2人。まずは身長203cmのスモールフォワード、レン・バイアス。ワシントンDC近郊に生まれ、地元メリーランド大に進んだバイアスは、ドラフト候補の中では飛び抜けて優秀なアスリートだった、桁外れの跳躍力と爆発力を持ち、屈強な身体に柔剛を兼ね備え、4年時には平均23.2点、7.0リバウンド、フリースロー成功率86.4%を記録。その才能はジョーダンに匹敵するとも言われていた。バイアスはジョーダンの1学年下で、大学時代に何度か対戦している。

 当時『ボストングローブ』紙は、「ジョーダンと同じタイプだが、ジョーダンより大きく、ジャンプショットも上手い」と評し、また後に放送された『ESPN』のドキュメンタリー番組で、現在ウィザーズの実況を担当しているスティーブ・バックハンツは、「あの時点ではバイアスのゲームの方がジョーダンより優れていた」と述べている。
 
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