盟友パーカーとともに学んだ国立エリート養成所INSEPでは、1年目はスモールフォワード、2年目はガードだったが、当時からどのポジションでもプレーできる多才さを見せていた。INSEPの指導教官で、フランスのバスケ教育の第一人者ルシアン・ルグランは、「体格に恵まれていたこと、運動神経がズバ抜けていたこと、そして“どんなプレーでもやってみよう”と挑戦するメンタリティが備わっていたこと」が、彼をマルチなプレーヤーに育てた所以だと語っている。
本人は「子どもの頃っていろいろやってみたくなるでしょ。だから、小さい頃から遊びでプレーする時もいろんなポジションをやっていたら、どこでもできるようになっていたんだ」と回想。そしてそのマルチな才は、引退後のセカンドキャリアでも発揮されているようだ。
本業では引退直後の2018年10月から、フランスバスケットボール連盟で代表チームのゼネラルマネージャー補佐という役職に従事。代表キャップ数247を誇るベテランは、国際トーナメントの時などはチームマネージャーのような形で選手をサポートし、明るい笑顔を振りまいている。
今年4月までの約1年間は、現役最後に所属したクラブ、ルヴァロワ(現メトロポリタン92)の会長職も兼任。その間アスヴェルと対戦した際には、パーカーとの会長対決も話題になった。
クラブのフロント業にはNBA時代から携わっており、ボブキャッツ在籍時の2009年に生まれ故郷にあるボルドーの株主になると、翌2010~17年まで会長の職務を全う。また、父方のルーツがあるセネガルでは、若者のためのトレーニングキャンプを毎年主催するなど、アフリカでの競技振興にも意欲的に取組んでいる。
バスケットボール以外の活動も積極的だ。特に写真の腕前は趣味の域を越え、フランス代表の仲間たちを捉えた写真がスポーツ誌に掲載されたり、パーカーのアパレルブランド『WAP TWO』の商業用写真を撮影したり、彼がサファリで撮った野生動物たちの写真に絵本作家がストーリーをつけた『HOOPS TO HIPPOS』が、ナショナル・ジオグラフィック・キッズから発行されたりしている。
本人は「子どもの頃っていろいろやってみたくなるでしょ。だから、小さい頃から遊びでプレーする時もいろんなポジションをやっていたら、どこでもできるようになっていたんだ」と回想。そしてそのマルチな才は、引退後のセカンドキャリアでも発揮されているようだ。
本業では引退直後の2018年10月から、フランスバスケットボール連盟で代表チームのゼネラルマネージャー補佐という役職に従事。代表キャップ数247を誇るベテランは、国際トーナメントの時などはチームマネージャーのような形で選手をサポートし、明るい笑顔を振りまいている。
今年4月までの約1年間は、現役最後に所属したクラブ、ルヴァロワ(現メトロポリタン92)の会長職も兼任。その間アスヴェルと対戦した際には、パーカーとの会長対決も話題になった。
クラブのフロント業にはNBA時代から携わっており、ボブキャッツ在籍時の2009年に生まれ故郷にあるボルドーの株主になると、翌2010~17年まで会長の職務を全う。また、父方のルーツがあるセネガルでは、若者のためのトレーニングキャンプを毎年主催するなど、アフリカでの競技振興にも意欲的に取組んでいる。
バスケットボール以外の活動も積極的だ。特に写真の腕前は趣味の域を越え、フランス代表の仲間たちを捉えた写真がスポーツ誌に掲載されたり、パーカーのアパレルブランド『WAP TWO』の商業用写真を撮影したり、彼がサファリで撮った野生動物たちの写真に絵本作家がストーリーをつけた『HOOPS TO HIPPOS』が、ナショナル・ジオグラフィック・キッズから発行されたりしている。