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NBA

“最悪のトラッシュトーカー”レジー・ミラーの真実の顔。歩行障害を持つ少年がスターとなるまでの軌跡【NBAレジェンド列伝・前編】

出野哲也

2020.08.03

 しかし、それでもNBAのスカウトたちは“ミラーは痩せすぎていて、NBAレベルの体力がない”と評価。理想的なフォームから繰り出されるシュートの才能は誰もが認めていても、それ以外の総合的な能力が不足していると見ていたのだ。

 1987年のドラフトでは、1巡目11位でインディアナ・ペイサーズから指名を受ける。地元インディアナ大の人気者で、ロサンゼルス五輪代表のスティーブ・アルフォードの獲得を希望していたファンからは不満の声が渦巻いたが「いいプレーさえすれば、彼らも僕のことを好きになってくれるとわかっていたから」と本人は気にしていなかった。

 その言葉通り、ミラーがファンの心を掴むまでに時間はかからなかった。懸念された体力面の問題もなく、1年目からレギュラーシーズン全82試合にフル出場。その細い身体には、見た目以上の強靭さが秘められていた。

 NBA選手たちの強い当たりにも怯むことなく、ディフェンスをかいくぐってオープンになると、速射砲のごとき素早いリリースで確実にゴールを射抜く。ルーキーイヤーは平均10.0点をマークしたほか、61本の3ポイントを沈め、ラリー・バード(元ボストン・セルティックス)の持つ新人記録を更新してみせた。
 
 キャリア3年目には平均24.6点の高得点を叩き出し、オールスターにも初出場。ところが、実力に見合った人気はなかなか得られず、むしろ“嫌われ者”と表現した方が近かった。ミラーはリーグでも最悪のトラッシュトーカーの1人であり、相手選手やファンの感情を逆撫でするような発言を好んでしたからだ。

「僕は小さい頃からトラッシュトークをしていた。身体の大きなヤツに倒されても『もっと強くやってみな!』とか言っていたよ。相手を愚弄するのが目的じゃなくて、自分自身を奮い立たせるためにやっているんだ」

 もっとも、実際のミラーは性格の曲がった人間ではない。自分の業績を誇らしげに吹聴することもなく、常識をわきまえ、私生活上のトラブルも皆無に近かった。
 

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