とは言っても、同誌が「金メダル以外の結果だったら衝撃的な大災害」と形容したように、彼らの優勝を疑う声もなかった。2000年代の国際大会でアメリカを苦しめたアルゼンチンやスペインは、当時のメンバーが軒並み30歳を超えて下り坂に入っており、ほかに取って代わるような国も見当たらなかったからである。
■開幕2試合の大勝から一転、以降のゲームは苦戦続きに
こうして、いささか盛り上がりに欠ける状態のまま大会が開幕。予選Aグループに配属されたアメリカは、中国との初戦を57点差で圧勝すると、続くベネズエラも44点差で楽々と退けた。
しかし、ここから徐々に雲行きが怪しくなっていく。3戦目の相手となったオーストラリアには前半終了時に5点のリードを許したが、これはアルゼンチンに敗れたアテネ五輪の準決勝以来の出来事だった。
後半に入って逆転はしたものの、サンアントニオ・スパーズの控えポイントガード、パティ・ミルズが30得点を叩き出すなどオーストラリアも食い下がり、残り27秒の時点でまだ5点差と、勝負の行方は最後までわからなかった。それでも、最終的には98-88と10点差で勝利を収める。オーストラリア出身のカイリー・アービング(当時キャバリアーズ/現ブルックリン・ネッツ)が元同僚のマシュー・デラベドーバ相手に19得点を奪うと、4回目の五輪となったカーメロは、9本もの3ポイントを沈め31得点をマーク。これで大会通算得点が293点となり、デイビッド・ロビンソン(元スパーズ/270点)とレブロン(273点)を抜いてアメリカの五輪史上1位になった。
しかし、予選ラウンドでの苦戦はまだまだ続く。4試合目の相手はセルビアで、序盤から27-9とリードした時点では楽勝かに思えた。
ところがニコラ・ヨキッチ(デンバー・ナゲッツ)とミロシュ・テオドシッチ(元ク
リッパーズ)を中心とした華麗なパスワークを武器にセルビアが次第に点差を詰めていき、最終盤ではついに3点差。残り2秒でボグダン・ボグダノビッチ(現サクラメント・キングス)が放った3ポイントが決まれば同点になるところだったが、外れて94-91で辛勝を収めた。
■開幕2試合の大勝から一転、以降のゲームは苦戦続きに
こうして、いささか盛り上がりに欠ける状態のまま大会が開幕。予選Aグループに配属されたアメリカは、中国との初戦を57点差で圧勝すると、続くベネズエラも44点差で楽々と退けた。
しかし、ここから徐々に雲行きが怪しくなっていく。3戦目の相手となったオーストラリアには前半終了時に5点のリードを許したが、これはアルゼンチンに敗れたアテネ五輪の準決勝以来の出来事だった。
後半に入って逆転はしたものの、サンアントニオ・スパーズの控えポイントガード、パティ・ミルズが30得点を叩き出すなどオーストラリアも食い下がり、残り27秒の時点でまだ5点差と、勝負の行方は最後までわからなかった。それでも、最終的には98-88と10点差で勝利を収める。オーストラリア出身のカイリー・アービング(当時キャバリアーズ/現ブルックリン・ネッツ)が元同僚のマシュー・デラベドーバ相手に19得点を奪うと、4回目の五輪となったカーメロは、9本もの3ポイントを沈め31得点をマーク。これで大会通算得点が293点となり、デイビッド・ロビンソン(元スパーズ/270点)とレブロン(273点)を抜いてアメリカの五輪史上1位になった。
しかし、予選ラウンドでの苦戦はまだまだ続く。4試合目の相手はセルビアで、序盤から27-9とリードした時点では楽勝かに思えた。
ところがニコラ・ヨキッチ(デンバー・ナゲッツ)とミロシュ・テオドシッチ(元ク
リッパーズ)を中心とした華麗なパスワークを武器にセルビアが次第に点差を詰めていき、最終盤ではついに3点差。残り2秒でボグダン・ボグダノビッチ(現サクラメント・キングス)が放った3ポイントが決まれば同点になるところだったが、外れて94-91で辛勝を収めた。