■アメリカに馴染めなかったドイツ出身のノビツキー
ナッシュが苦しんでいる頃、ノビツキーもまた深い悩みの最中にあった。彼の場合は、プレー以前にアメリカでの生活に慣れなければならなかった。
ノビツキーもアスリートの家系に育った。父はヨーロッパで盛んなハンドボールの選手、母と姉はバスケットボールのドイツ代表だった。少年時代はハンドボールや体操、テニスなどに親しんだノビツキーだったが、ドイツの名バスケットボール選手だったホルグ・ゲシュビントナーに才能を見出され、バスケットボールの英才教育を受けた。
98年、各国のジュニアの有望選手を集めて行なわれたナイキ・フープ・サミットで、アメリカ選抜を相手に33点を奪ったノビツキーは、そのサイズからは想像もつかないシュート力で一躍注目を浴びる。特にノビツキーに惚れこんでいたのがネルソンHCで「19歳であれほどの才能を持っている選手はアメリカにもいない。コビー・ブライアント以上だ」とまで持ち上げた。
ドラフトではミルウォーキー・バックスが9位で指名し、直後のトレードでマーベリックスが交渉権を手に入れた。もう少しヨーロッパで経験を積みたいと思っていたノビツキーだったが、マーベリックスの熱心な交渉に折れてNBA入りを決意した。
しかしその頃はロックアウトの真っ只中。翌年1月にようやくロックアウトは解除されたが、トレーニングキャンプの期間は通常よりもずっと短い期間しか設けられなかった。さらにノビツキーには、アメリカでの暮らしに慣れる時間的猶予もなかった。右も左もわからない異国での毎日でホームシックに陥ったノビツキーに、救いの手を差し伸べたのがナッシュだった。
「僕自身、アメリカでは外国人だからね。彼が文化の違いにとまどっているのは、よくわかった。誰も知り合いのいない土地で、新しい言葉や習慣に慣れるのは、そう簡単なことじゃない」。
アパートメントが同じだったこともあって、ナッシュはノビツキーを自宅に招いた。ピザを食べながらサッカーを観たり、ギターをつまびいたりしたりして打ち解けた2人は、たちまち親友となった。どちらかといえば内気で、スポットライトを浴びるのを好まない性格も、2人の共通点だった。
ナッシュの助けを借りながら、少しずつ新しい生活に馴染んでいったノビツキーだが、NBAでやっていくだけの体力的、精神的な強靭さを身につけるには時間がかかった。1年目の成績は平均8.2点、3.4リバウンド。ひどい数字ではないが、開幕前にネルソンが「今年の新人王はダークだ」と吹聴していたほどではなかった。この年はヴィンス・カーター、ポール・ピアース、ジェイソン・ウィリアムズ、マイク・ビビーらルーキーが豊作だったことも、相対的にノビツキーの評価を下げた。
その頃のノビツキーを振り返り、ナッシュはこう語る。
「自分自身にがっかりしていたようだったね。彼には少し悲観的な部分があるから、僕が力づけてあげなければならなかったんだ」。
ナッシュの心ある気遣いに、ノビツキーは深く感謝していた。
「スティーブがいなかったら、あの時期を耐えることはできなかったかもしれない……。彼は本当の兄のようだった」。
2人は時間を見つけては近所の体育館に通い、一般市民に交じってシュートや1オン1の練習に励んだ。(後編へ続く)
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2006年7月号掲載原稿に加筆・修正。
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ナッシュが苦しんでいる頃、ノビツキーもまた深い悩みの最中にあった。彼の場合は、プレー以前にアメリカでの生活に慣れなければならなかった。
ノビツキーもアスリートの家系に育った。父はヨーロッパで盛んなハンドボールの選手、母と姉はバスケットボールのドイツ代表だった。少年時代はハンドボールや体操、テニスなどに親しんだノビツキーだったが、ドイツの名バスケットボール選手だったホルグ・ゲシュビントナーに才能を見出され、バスケットボールの英才教育を受けた。
98年、各国のジュニアの有望選手を集めて行なわれたナイキ・フープ・サミットで、アメリカ選抜を相手に33点を奪ったノビツキーは、そのサイズからは想像もつかないシュート力で一躍注目を浴びる。特にノビツキーに惚れこんでいたのがネルソンHCで「19歳であれほどの才能を持っている選手はアメリカにもいない。コビー・ブライアント以上だ」とまで持ち上げた。
ドラフトではミルウォーキー・バックスが9位で指名し、直後のトレードでマーベリックスが交渉権を手に入れた。もう少しヨーロッパで経験を積みたいと思っていたノビツキーだったが、マーベリックスの熱心な交渉に折れてNBA入りを決意した。
しかしその頃はロックアウトの真っ只中。翌年1月にようやくロックアウトは解除されたが、トレーニングキャンプの期間は通常よりもずっと短い期間しか設けられなかった。さらにノビツキーには、アメリカでの暮らしに慣れる時間的猶予もなかった。右も左もわからない異国での毎日でホームシックに陥ったノビツキーに、救いの手を差し伸べたのがナッシュだった。
「僕自身、アメリカでは外国人だからね。彼が文化の違いにとまどっているのは、よくわかった。誰も知り合いのいない土地で、新しい言葉や習慣に慣れるのは、そう簡単なことじゃない」。
アパートメントが同じだったこともあって、ナッシュはノビツキーを自宅に招いた。ピザを食べながらサッカーを観たり、ギターをつまびいたりしたりして打ち解けた2人は、たちまち親友となった。どちらかといえば内気で、スポットライトを浴びるのを好まない性格も、2人の共通点だった。
ナッシュの助けを借りながら、少しずつ新しい生活に馴染んでいったノビツキーだが、NBAでやっていくだけの体力的、精神的な強靭さを身につけるには時間がかかった。1年目の成績は平均8.2点、3.4リバウンド。ひどい数字ではないが、開幕前にネルソンが「今年の新人王はダークだ」と吹聴していたほどではなかった。この年はヴィンス・カーター、ポール・ピアース、ジェイソン・ウィリアムズ、マイク・ビビーらルーキーが豊作だったことも、相対的にノビツキーの評価を下げた。
その頃のノビツキーを振り返り、ナッシュはこう語る。
「自分自身にがっかりしていたようだったね。彼には少し悲観的な部分があるから、僕が力づけてあげなければならなかったんだ」。
ナッシュの心ある気遣いに、ノビツキーは深く感謝していた。
「スティーブがいなかったら、あの時期を耐えることはできなかったかもしれない……。彼は本当の兄のようだった」。
2人は時間を見つけては近所の体育館に通い、一般市民に交じってシュートや1オン1の練習に励んだ。(後編へ続く)
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2006年7月号掲載原稿に加筆・修正。
【PHOTO】NBA最強の選手は誰だ?識者8人が選んだ21世紀の「ベストプレーヤートップ10」を厳選ショットで紹介!