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NBA

コンビ解消後にMVPに輝いたノビツキーとナッシュ。2人の夢は叶わなかったが、固い友情は今も変わらず【NBAデュオ列伝|後編】

出野哲也

2020.11.05

コンビ結成3年目の2001年に才能を本格的に開花させたノビツキーとナッシュ。03年にはチームを当時のフランチャイズ最多となる60勝に導き、プレーオフではカンファレンス決勝まで勝ち進んだ。(C)Getty Images

コンビ結成3年目の2001年に才能を本格的に開花させたノビツキーとナッシュ。03年にはチームを当時のフランチャイズ最多となる60勝に導き、プレーオフではカンファレンス決勝まで勝ち進んだ。(C)Getty Images

■固い友情で結ばれた2人が弱小マブズを強豪に変えた

 その甲斐あって、ノビツキーは2年目の99-00シーズンに急成長した。NBAのパワーとスピードに適応し、1年目はわずか14本だった3ポイントを116本も決め、成功率も20.6%から37.9%へ上昇。平均得点は17.5点に引き上げ、MIP投票で2位に食い込んだ。ナッシュは右足首の負傷などで26試合を欠場したが、最後の1か月でダブルダブルを6度も記録し、復活の兆しを見せた。チームも40勝42敗と勝率5割にあと一息まで迫った。シーズン途中からはIT長者のマーク・キューバンが新オーナーとなり、豊富な資金を投入してチーム改革に乗り出した。

 00-01シーズン、ナッシュとノビツキーは本格的に開花した。シーズン前のシドニー五輪で活躍し、自信を取り戻したナッシュは、平均15.6点、7.3アシストの好成績でブーイングを喝采へ変えた。ノビツキーはチームトップの21.8点を記録し、オールNBA3rdチームに選出された。53勝をあげたマーベリックスは11年ぶりに勝ち越し、プレーオフ1回戦でユタ・ジャズに2連敗のあと3連勝する金星をあげた。

 続く01-02シーズンは2人揃って初めてオールスターに出場し、チームも球団新記録の57勝。02-03シーズンは開幕から14連勝すると、60勝をあげて地区1位タイ。プレーオフではカンファレンス決勝まで進んだ。NBAきっての強豪となったマーベリックスの原動力が、ナッシュとノビツキーであることに疑いはなかった。ナッシュの自在なパス捌きと、体勢を崩しながらもボールをリングに放り込むテクニックは上達の一途を辿り、ノビツキーも年々筋肉がたくましくなり、プレーの幅を着実に広げていった。
 
 周囲の評価が一変しても、2人の友情は全く変わらなかった。試合会場へは一緒の車で向かい、遠征先ではいつも食事を共にした。ナッシュが新居を構えれば、そこから10分と離れていない場所にノビツキーも引っ越した。「2人が一緒ではないのは眠る時だけ」と冷やかされるほど、その仲は親密だった。「ジョン・ストックトンとカール・マローンのように、いつまでも同じチームでプレーできたら最高だろうな」。そう語り合っていた2人だったが、別離の日は突然やってきた。

 03-04シーズン終了後、FAとなったナッシュに古巣のサンズが6年6000万ドルという破格の条件を提示した。それでもナッシュは、多少条件が悪くとも残留するつもりでいたのだが、マーベリックスは意外な決断を下した。彼らは30歳というナッシュの年齢を考え、6年という長期契約に難色を示した。センターが欲しいというチーム事情もあり、最終的にはビッグマンの獲得費用を捻出するため、ナッシュを手放すことに決めたのだ。

 サンズ移籍の報告をナッシュから知らされたノビツキーは、親友の門出を祝福した。「これだけの契約を提示してもらったんだ。フェニックスに行くのは当然だよ」。そう言いつつも、内心はひどく落胆していた。「毎日一緒にプレーすることが、当然のようになっていたからね。これからもすっとそうだと思っていたのに……」。オフの間、フロントの人間と口を利かないほど、彼はチームの下した決断に怒り心頭だった。
 

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