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NBA

“ドリームチーム”——バスケットボールの歴史を大きく変えた12人の使徒たち【五輪史探訪|1992年バルセロナ前編】

出野哲也

2019.11.08

マジック(右)の後押しを受けバード(左)も代表入り。2人はともにチームのキャプテンを務めた。(C)Getty Images

マジック(右)の後押しを受けバード(左)も代表入り。2人はともにチームのキャプテンを務めた。(C)Getty Images

 ファンにとっては当然ながら、選手たちもこの発表に沸き立った。オフが潰れるなどの理由もあり、必ずしも全員が乗り気だったわけではない。だが国を代表して戦う12名に選ばれる名誉は、何物にも代えがたかった。

 当時のNBAには、マイケル・ジョーダン(当時ブルズ)やパトリック・ユーイング(当時ニックス)ら84年ロサンゼルス五輪の優勝メンバーのほか、同大会の最終選考で脱落したチャールズ・バークレー(当時サンズ)やジョン・ストックトン(当時ジャズ)、80年のモスクワ五輪で代表に選ばれながら、アメリカが大会をボイコットしたため出場できなかったアイザイア・トーマス(当時ピストンズ)など、五輪未経験組にも実力者がズラリ。また、ソウル大会で屈辱を味わったデイビッド・ロビンソン(当時スパーズ)にとっては、名誉挽回の機会でもあった。
 メンバーの選考は、候補を集めてトライアウトを行なっていたこれまでと異なり、NBA副会長のロッド・ソーンやビリー・カニングハム(元シクサーズHC)らの有識者によって組織された選考委員会が慎重に人選。そのなかで、真っ先に名前が挙がったのは3人のビッグネーム――ジョーダン、マジック・ジョンソン(元レイカーズ)、そしてラリー・バード(当時セルティックス)だった。

 当初「オリンピックは経験済みだから興味ない」と言っていたジョーダンは、ブルズ入団時のGMでもあるソーンに直接説得され参加を決意。マジックは91年にHIVウイルスへの感染が発覚したことで引退状態にあったが、翌年のオールスターに特別参加しMVPを獲得。病気でもプレーに支障がないことは実証済みだったため、メンバー入りを快諾した。

 バードも慢性的な腰痛に悩まされており「名誉ではあるけれど、オリンピックは若い人に譲るべきだ」と当初は難色を示すも、盟友マジックに背中を押されて代表に加わった。

 こうして91年9月21日、まず10人のメンバーが発表された。センターがユーイングとロビンソン、PFはバークレー、カール・マローン(当時ジャズ)。SFにはバード、クリス・マリン(当時ウォリアーズ)、スコッティ・ピッペン(当時ブルズ)。SGにジョーダン、PGはマジックとストックトンが選出された。
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