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NBA

“ドリームチーム”——バスケットボールの歴史を大きく変えた12人の使徒たち【五輪史探訪|1992年バルセロナ前編】

出野哲也

2019.11.08

ドリームチーム入りを打診されたジョーダンが提示した条件、それが“トーマス(写真)を代表から外すこと”だった。(C)Getty Images

ドリームチーム入りを打診されたジョーダンが提示した条件、それが“トーマス(写真)を代表から外すこと”だった。(C)Getty Images

 この時点でロースターにはまだ2名の空きがあったが、うちひとつはアマチュア選手のために残されたもの。その枠には有力視されていたルイジアナ州大のシャキール・オニールではなく、NCAAトーナメントで2連覇を果たしたばかりのデューク大から、クリスチャン・レイトナーが選ばれた。

 最後の1席は、5月になってクライド・ドレクスラー(当時ブレイザーズ)に決定。この時点でSGはジョーダンしかいなかったため、妥当な選択ではあったと言えるだろう。
 だが、すべてのスター選手が選ばれたわけではない。有力候補だったドミニク・ウィルキンス(当時ホークス)は、アキレス腱断裂の重傷を負いメンバー入りを逃してしまう。そして最大の論議の的となったのはトーマスの落選。これが犬猿の仲だったジョーダンの意向であるのは公然の秘密だった。

 当時は「俺が選考に関わっていたわけではない」と語ったジョーダン自身も、後年になってトーマスを外すのが参加の条件だったと認めている。もっとも、トーマスの親友だったマジックでさえ「アイザイアをチームに加えたいと思う者はいなかった」と話しており、ジョーダンだけの意向を汲んだものでもなかったようだ。

 ストックトンが足を負傷し参加が危ぶまれた際も、代役候補に挙がったのはトーマスではなく彼の僚友ジョー・デュマース。トーマスは大人の態度で不満を漏らしはなかったが、選考委員の1人だったピストンズGMのジャック・マクロスキーは、辞任して抗議の意思を示していた。(後編に続く)

文●出野哲也(フリーライター)
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