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NBA

【NBA背番号外伝】クージー、ロバートソンと名だたるレジェンドが着用した“14番”。6人の永久欠番を振り返る 

出野哲也

2020.12.18

 この2人を抜いて通算アシスト記録を樹立したのはジョン・ストックトンだが、ユタ・ジャズ時代にそのストックトンとバックコートコンビを組んでいたのがジェフ・ホーナセック。フェニックス・サンズ、フィラデルフィア・セブンティシクサーズ、そしてジャズを通じて14番。正確無比なシュートで2度のファイナル進出に貢献し、ジャズの欠番になった。ライオネル・ホリンズも、77年のポートランド・トレイルブレイザーズ初優勝時の主力として欠番となっている。引退後は多くのチームでコーチを歴任、昨季はロサンゼルス・レイカーズのアシスタントコーチとして43年ぶりの優勝を味わった。

 残る2人の欠番はあまり知名度が高くない。ジョン・マッグロックリンはバックス創設当時のオリジナルメンバーだが、平均11.6点と成績は平凡。ロバートソンのバックス移籍時に14番を譲らなかったという逸話がある。引退後は長い間バックス戦のコメンテーターを務めていた。
 
 トム・メシェリーもスーパースターではないが、得点とリバウンドで2桁を連発し、ゴールデンステイト・ウォリアーズの欠番になった。ロシア人で生まれは現在の中国、日本統治時代の満州。終戦後はアメリカに亡命する激動の人生で、引退後は教師となって詩集を出版、ネバダ州の作家の殿堂に迎えられた。

 欠番以外で最も有名な14番はサム・パーキンスだろう。ノースカロライナ大ではマイケル・ジョーダンの1年先輩にあたり、当時は41番。NBAでも当初はこの番号をつけた。その後44番を経て、レイカーズへ移籍した90-91シーズン以降は14番に。ビッグマンでありながらアウトサイドシュートを得意とし、異なるチームで3回ファイナルに進出したが、91年(レイカーズ)と96年(シアトル・スーパーソニックス=現サンダー)はジョーダンのシカゴ・ブルズ、2000年(インディアナ・ペイサーズ)はシャキール・オニール率いるレイカーズに阻まれ優勝に手が届かなかった。
 

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