1971-72シーズンには、ロケッツの本拠地移転に伴いヒューストンに戻ってきたが、わずか1年でボルティモア・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)へ放出。1981年に再びロケッツの一員となり、思い出の地で3年間プレーしたのち現役を退いた。通算2万7313得点は史上10位。1993年にはすべてのスポーツを通じて、ヒューストン大初の永久欠番となっている。
■“ファイ・スラマ・ジャマ”がカレッジバスケに革命を起こす
チェイニーもヘイズと同年のドラフト12位でボストン・セルティックスに入団。控えながら1年目に優勝を経験すると、1974年には主力として2度目のリーグ制覇を果たす。オールディフェンシブチームに5回選ばれた守備の名手で、引退後は4球団でHCを歴任。ロケッツを指揮した1991年には最優秀コーチ賞に輝いている。
1972~75年に平均22.3点をあげたルイス・ダンバーはNBA入りせず、ヨーロッパのチームを経てエキシビションチームのハーレム・グローブトロッターズに加入。“スウィート・ルー”の愛称で親しまれ、その後同チームのコーチを務めた。
点取り屋のオーティス・バードソングは、1977年にサウスウエスト・カンファレンス史上初のシーズン平均30点超え(30.3点)をマーク(ヘイズの在学時は同カンファレンスの所属ではなかった)。同年のドラフト2位でカンザスシティ(現サクラメント)・キングスから指名を受け、2年目から3年連続でオールスターに出場するなど、NBAでも輝かしい実績を残した。
1970年代後半はトーナメントから遠ざかったクーガーズだが、1980年代に入り華々しく復活する。派手なダンクを次々と決める“ファイ・スラマ・ジャマ(スラムダンク友愛会)”が、保守的な傾向の強いカレッジバスケ界に革命を起こしたのだ。その中心となったのが、ドレクスラーと彼の1年後輩にあたるオラジュワンだった。
ドレクスラーが抜群の跳躍力を生かした華麗なダンクを決めれば、ナイジェリア出身のオラジュワンも213cmの巨体からは想像もできないほどの身軽な動きで対抗。彼らのほかにもマイケル・ヤングやラリー・ミショーらの“会員”たちが、試合前のウォームアップで個性あふれるダンクを披露し、アリーナに詰めかけた学生たちも“10点満点”のボードを掲げてパフォーマンスを盛り上げた。
■“ファイ・スラマ・ジャマ”がカレッジバスケに革命を起こす
チェイニーもヘイズと同年のドラフト12位でボストン・セルティックスに入団。控えながら1年目に優勝を経験すると、1974年には主力として2度目のリーグ制覇を果たす。オールディフェンシブチームに5回選ばれた守備の名手で、引退後は4球団でHCを歴任。ロケッツを指揮した1991年には最優秀コーチ賞に輝いている。
1972~75年に平均22.3点をあげたルイス・ダンバーはNBA入りせず、ヨーロッパのチームを経てエキシビションチームのハーレム・グローブトロッターズに加入。“スウィート・ルー”の愛称で親しまれ、その後同チームのコーチを務めた。
点取り屋のオーティス・バードソングは、1977年にサウスウエスト・カンファレンス史上初のシーズン平均30点超え(30.3点)をマーク(ヘイズの在学時は同カンファレンスの所属ではなかった)。同年のドラフト2位でカンザスシティ(現サクラメント)・キングスから指名を受け、2年目から3年連続でオールスターに出場するなど、NBAでも輝かしい実績を残した。
1970年代後半はトーナメントから遠ざかったクーガーズだが、1980年代に入り華々しく復活する。派手なダンクを次々と決める“ファイ・スラマ・ジャマ(スラムダンク友愛会)”が、保守的な傾向の強いカレッジバスケ界に革命を起こしたのだ。その中心となったのが、ドレクスラーと彼の1年後輩にあたるオラジュワンだった。
ドレクスラーが抜群の跳躍力を生かした華麗なダンクを決めれば、ナイジェリア出身のオラジュワンも213cmの巨体からは想像もできないほどの身軽な動きで対抗。彼らのほかにもマイケル・ヤングやラリー・ミショーらの“会員”たちが、試合前のウォームアップで個性あふれるダンクを披露し、アリーナに詰めかけた学生たちも“10点満点”のボードを掲げてパフォーマンスを盛り上げた。
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