専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
NBA

シャックとペニーはどこで道を違えたのか…史上最強に“なり損ねた”2人のキャリアは正反対に【NBAデュオ列伝|後編】〈DUNKSHOOT〉

出野哲也

2021.02.19

■頂点に到達するシャックと対照的に、故障に泣くペニー

 レイカーズで再出発を切ったシャックだったが、故障もあってチャンピオンリングにはなかなか手が届かなかった。ようやく初優勝、そして自身初のMVPを手にしたのは新パートナーのコビーが成長する2000年まで待たねばならなかった。それでも同年から3年連続優勝、NBAファイナルでは3年続けてMVPに輝いた。多くの人が予想していたように、シャックはついに選手として頂点を極めた。

 一方のペニーは、シャックの抜けた1996-97シーズン、チームの中心として奮闘したが、勝敗は45勝と大きく下降した。プレーオフでは平均31点の活躍で、第2シードのヒートを最後まで追いつめ、スーパースターらしい姿は見せた。だが、翌年は左ヒザを手術したため19試合しか出られず、チームもプレーオフ進出を逃した。

 この頃から、急速にペニーに対する風当たりが強くなった。ヒザを痛めてからは、彼のプレーは明らかに精彩を欠くようになった。1999年、平均15.8点という不本意なシーズンを終えてFAとなったペニーは、サイン&トレードでフェニックス・サンズへ移籍していった。
 
 新天地でもペニーが完全に蘇ることはなかった。2000年のプレーオフでは平均20点以上をマークしたが、翌年は古傷のヒザを悪化させ出場4試合に終わり、同年限りで一旦引退することになる。いつしかペニーの名は“期待に応えられなかったスーパースター候補生”という範疇を超えて語られることはなくなっていた。

 シャックはシャックで、勝ち続けながらもコビーとの長年にわたる確執という厄介な問題を抱えていた。

 この対立は、一般的にはコビーが悪者とされていたが、シャックにも原因がないわけではない。彼の言動や行動は時に子どもじみていて、無用なトラブルを引き起こすことがあるのだ。

 出演したラジオ番組で、テニス選手のヴィーナス・ウィリアムズと付き合っていると嘘をついて謝罪させられたり、でたらめな中国語でヤオ・ミンを揶揄して問題になったりと、この種のエピソードは山のようにあった。

 本人はサービス精神を発揮しているつもりだろうが、場所やタイミングをわきまえない軽はずみな言動は、ペニーやコビーにとって我慢ならないものがあったのだろう。
 
NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号