■頂点に到達するシャックと対照的に、故障に泣くペニー
レイカーズで再出発を切ったシャックだったが、故障もあってチャンピオンリングにはなかなか手が届かなかった。ようやく初優勝、そして自身初のMVPを手にしたのは新パートナーのコビーが成長する2000年まで待たねばならなかった。それでも同年から3年連続優勝、NBAファイナルでは3年続けてMVPに輝いた。多くの人が予想していたように、シャックはついに選手として頂点を極めた。
一方のペニーは、シャックの抜けた1996-97シーズン、チームの中心として奮闘したが、勝敗は45勝と大きく下降した。プレーオフでは平均31点の活躍で、第2シードのヒートを最後まで追いつめ、スーパースターらしい姿は見せた。だが、翌年は左ヒザを手術したため19試合しか出られず、チームもプレーオフ進出を逃した。
この頃から、急速にペニーに対する風当たりが強くなった。ヒザを痛めてからは、彼のプレーは明らかに精彩を欠くようになった。1999年、平均15.8点という不本意なシーズンを終えてFAとなったペニーは、サイン&トレードでフェニックス・サンズへ移籍していった。
新天地でもペニーが完全に蘇ることはなかった。2000年のプレーオフでは平均20点以上をマークしたが、翌年は古傷のヒザを悪化させ出場4試合に終わり、同年限りで一旦引退することになる。いつしかペニーの名は“期待に応えられなかったスーパースター候補生”という範疇を超えて語られることはなくなっていた。
シャックはシャックで、勝ち続けながらもコビーとの長年にわたる確執という厄介な問題を抱えていた。
この対立は、一般的にはコビーが悪者とされていたが、シャックにも原因がないわけではない。彼の言動や行動は時に子どもじみていて、無用なトラブルを引き起こすことがあるのだ。
出演したラジオ番組で、テニス選手のヴィーナス・ウィリアムズと付き合っていると嘘をついて謝罪させられたり、でたらめな中国語でヤオ・ミンを揶揄して問題になったりと、この種のエピソードは山のようにあった。
本人はサービス精神を発揮しているつもりだろうが、場所やタイミングをわきまえない軽はずみな言動は、ペニーやコビーにとって我慢ならないものがあったのだろう。
レイカーズで再出発を切ったシャックだったが、故障もあってチャンピオンリングにはなかなか手が届かなかった。ようやく初優勝、そして自身初のMVPを手にしたのは新パートナーのコビーが成長する2000年まで待たねばならなかった。それでも同年から3年連続優勝、NBAファイナルでは3年続けてMVPに輝いた。多くの人が予想していたように、シャックはついに選手として頂点を極めた。
一方のペニーは、シャックの抜けた1996-97シーズン、チームの中心として奮闘したが、勝敗は45勝と大きく下降した。プレーオフでは平均31点の活躍で、第2シードのヒートを最後まで追いつめ、スーパースターらしい姿は見せた。だが、翌年は左ヒザを手術したため19試合しか出られず、チームもプレーオフ進出を逃した。
この頃から、急速にペニーに対する風当たりが強くなった。ヒザを痛めてからは、彼のプレーは明らかに精彩を欠くようになった。1999年、平均15.8点という不本意なシーズンを終えてFAとなったペニーは、サイン&トレードでフェニックス・サンズへ移籍していった。
新天地でもペニーが完全に蘇ることはなかった。2000年のプレーオフでは平均20点以上をマークしたが、翌年は古傷のヒザを悪化させ出場4試合に終わり、同年限りで一旦引退することになる。いつしかペニーの名は“期待に応えられなかったスーパースター候補生”という範疇を超えて語られることはなくなっていた。
シャックはシャックで、勝ち続けながらもコビーとの長年にわたる確執という厄介な問題を抱えていた。
この対立は、一般的にはコビーが悪者とされていたが、シャックにも原因がないわけではない。彼の言動や行動は時に子どもじみていて、無用なトラブルを引き起こすことがあるのだ。
出演したラジオ番組で、テニス選手のヴィーナス・ウィリアムズと付き合っていると嘘をついて謝罪させられたり、でたらめな中国語でヤオ・ミンを揶揄して問題になったりと、この種のエピソードは山のようにあった。
本人はサービス精神を発揮しているつもりだろうが、場所やタイミングをわきまえない軽はずみな言動は、ペニーやコビーにとって我慢ならないものがあったのだろう。