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NBA

“陽”のウォーカーと“陰”のピアース。正反対の2人が友人、ライバルとして共存できたワケ【NBAデュオ列伝|前編】〈DUNKSHOOT〉

出野哲也

2021.03.15

 ラリー・バードの引退、レジー・ルイスの急死などで低迷していたチームに久々に現われた若手のスター候補として、ウォーカーはボストン市民から大きな期待を寄せられた。シュートを決めた時に肩を震わせて、おどけたようにダンスする独特のパフォーマンスもファンの喝采を浴びた。

 入団2年目の1997年には、ピティーノがセルティックスのヘッドコーチに就任。ウォーカー、マーサー、マッカーティとケンタッキー大OB3人がスターターに名を連ね、あたかも“ケンタッキー・セルティックス”の様相を呈した。ピティーノ流の攻撃型バスケットはNBAに旋風を巻き起こし、前年の15勝から一気に36勝へアップ。ウォーカー自身も平均22.4点、10.2リバウンドの好成績でオールスターに選ばれ、スター選手として地歩を着実に固めていた。
 
■正反対の性格を持つ最大のライバル、ピアースの入団

 ピアースは、セルティックスが上昇気流に乗っている絶好のタイミングで入団した。ロサンゼルス近郊で育ったピアースが、地元の名門UCLAではなくカンザス大に進学したのは、ロイ・ウィリアムズ・ヘッドコーチに熱心に勧誘されたからだった。自筆の手紙まで送ってきたウィリアムズの熱意に応え、ピアースは1年生でカンファレンス新人王を受賞。3年生終了時までに同校史上5位の通算得点記録をマークした。

 1998年のドラフトではトップ3以内での指名が確実視されていたが、案に相違して10位のセルティックスまで彼の名はコールされなかった。「俺を指名しなかったチームは、必ず後悔するはずさ」。屈辱の思いと同時に、彼は運命の皮肉も感じていた。LAっ子でレイカーズファンだったピアースにとって、長年の宿敵セルティックスは子どもの頃一番嫌いなチームだったからだ。

 ピアースの入団が決まると、ウォーカーはわざわざロサンゼルスまで足を運び、ピアースにピックアップゲームを挑んだ。評判の新人がどんな男か、試そうと思ったのだ。ウォーカーは得意のトラッシュトークを仕掛けたが、ピアースはひるむことなく反撃に出る。ゲームが終わる頃には、2人はお互いの実力を認めあい、すっかり打ち解けていた。
 
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