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NBA

NBA屈指の悍馬アイバーソンを唯一乗りこなしたスノウ――伝説となった電光石火のガードコンビ【NBAデュオ列伝|前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.04.15

 そこに絶妙のタイミングで76ersのヘッドコーチに就任したのが、名将ラリー・ブラウンだった。「自分のコーチ人生において、これほどの才能を持った選手はいなかった」というほどアイバーソンを買っていたブラウンだったが、自己中心的なプレースタイルは気に入らなかった。

「君の得点とチームの勝敗はまったく比例していない。チームメイトとボールを分け合えなければ、勝てるチームにはならない」

 ブラウンはアイバーソンを諭し、アイバーソンも反発しながらもそれに従うよう試みた。だが、自分の流儀でプレーできなくなったアイバーソンは精彩を欠き、得点とアシストの数が減少。結局ブラウンはアイバーソンをPGとして育てるより、卓越した得点力を生かすのが勝利への近道だと判断した。こうしてシューティングガードへ移ったアイバーソンの後釜に据えられたのがスノウだった。
 
■ゲームメイクに徹するスノウとAIのコンビが見事にフィット

 ミシガン州大時代は正統派PGとして活躍していたスノウだったが、得点力の低さがネックとなり、95点のドラフトではミルウォーキー・バックスに2巡目43位指名されるのがやっとだった。

「どのチームでもかまわない。NBAに入れるだけでエキサイトしてるよ」と喜んだものの、直後に移籍したシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)には名PGのゲイリー・ペイトンがいたため、ほとんど出場機会がなかった。

 転機となったのが、3年目の途中に76ersへトレードされたことだった。アイバーソンの控えPGとして一定の出場時間を与えられると、「流れの中でシュートを打つこともあるけれど、プレーを組み立てて、オープンの選手にパスを出すのが僕の役割」という姿勢によって、ブラウンの信頼を得た。

 98-99シーズンにスノウが先発PGに定着し、プレーメーキングの重責から解放されたアイバーソンは、得点能力を全面的に開花させ、平均26.8点で初の得点王となった。

「スノウは俺のスタイルを理解している。最高のパートナーだね。俺の平均得点が上がった理由の一つが彼にある」とアイバーソンもスノウの重要性を認めた。(後編へ続く)

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2007年5月号掲載原稿に加筆・修正。

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