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NBA

ミラクルショットで“NYの気温を上げた”ジョンソン。荒くれ者から真のリーダーになった男の物語【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.05.20

 ニックスのヘッドコーチだったパット・ライリーがヒートに移って以来、両チームは仇同士となっていた。ジョンソンにとって、モーニングのいるヒートは特に負けたくない相手だった。97-98シーズンのプレーオフ1回戦、両者は再び顔を合わせ、ニックスの1勝2敗で迎えた第4戦に事件は起こった。

 この試合、ジョンソンは執拗にモーニングをマークし、苛立たせ続けていた。そして試合終了間際、理性を失ったモーニングが殴りかかり、乱闘が始まった。両者とも、最終第5戦は出場停止(当時のファーストラウンドは3勝先取)。もちろんダメージが大きかったのは、チームの柱を失ったヒートのほうだった。ニックスがシリーズを制したのは、モーニングの短気な性格に付け込んで出場停止に追いやったジョンソンのおかげだった。

 翌98-99シーズンのプレーオフではジョンソンは実際のプレーで大活躍する。インディアナ・ペイサーズとのカンファレンス決勝第3戦、残り11.9秒の時点で3ポイントを沈めたばかりか、ファウルまでもらって4ポイントプレーを完成させたのだ。「ニューヨーク市の気温が数度上がった」と言われたほどのミラクルショットで逆転勝ちしたニックスは、シリーズも制して史上初となる第8シードからのファイナル進出を成し遂げた。
 
 ただ、サンアントニオ・スパーズとのNBAファイナルではジョンソンはティム・ダンカンとのマッチアップに苦戦し、いいところなく終わった。背中の痛みも感知することはなく、2001年、32歳の若さでジョンソンは引退を決意した。

 故郷のダラスに戻ったジョンソンは、UNLVに復学して学位を取った。高校の指導者になるのが目標で、そのための資格が必要だったからだ。現役時代にあれほど悩まされた背中の痛みは「引退した途端に治っちゃったよ」と笑う。「生まれ育った地区に、子どもたちのためのコンベンションセンターを建設する」という大きな夢もついに叶えた。

「ケガさえなければ、史上最高の選手の1人だっただろうね。彼のプレーには穴がなかったから」ホーネッツ時代のチームメイトだったケンドール・ギルは、中途半端に終わったジョンソンのキャリアを惜しむ。確かに、その素質に見合う成績は残せなかった。だが今のジョンソンは、過ぎ去った時間を悔やむ必要もないほど、意義ある人生を送っているようだ。

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2009年11月号掲載原稿に加筆・修正

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