1946年の創設から74年。その長い歴史の中でNBAは何人ものスーパースターを輩出し、ファンを楽しませてきた。では、各チームの「歴代ベスト5」を選出したら、一体どんな選手が並ぶのか。『THE DIGEST』では、NBAに精通する識者に依頼し、全30チームのベストメンバーを選んでもらった。今回はリーグ最古の球団で、1970、73年に優勝。90年代にはマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズをプレーオフで苦しめた「ニューヨーク・ニックス」編をお届けする。
【ポイントガード】
ウォルト・フレイジャー
1945年3月29日生。193cm・91kg
在籍期間:10シーズン(1967~77年)
成績:825試合、平均19.3点、5.9リバウンド、6.1アシスト
ニックスの歴代最高PGは“クライド”の愛称で親しまれたフレイジャー以外にいない。ニューヨークで過ごした10年間で平均19.3点、6.3アシストをマークし、オールスターに7回出場。得点力に秀で、同時にフリーのチームメイトを見つけるのが上手な“フロア・ジェネラル”でもあった。守備力もハイレベルで、オールディフェンシブ1stチームに7度も選ばれてるのも見逃せない。
スター性抜群のチームリーダーだったフレイジャーは、1970、73年とチームの2度の優勝に大きく貢献。中でも同僚ウィリス・リードが足を引きずって出場したことで有名な70年のファイナル第7戦で、ロサンゼルス・レイカーズを相手に36得点、19アシストと大爆発した活躍は語り継がれる。近年のニックスは確固たるエースPGの不在に悩まされており、フレイジャーが君臨した時代を懐かしむオールドファンは少なくない。
【シューティングガード】
アール・モンロー
1944年9月21日生。191cm・84kg
在籍期間:10シーズン(1971~80年)
成績:598試合、平均16.2点、2.6リバウンド、3.5アシスト
1971-72シーズン途中にモンローがボルティモア・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)からトレードで加入したが、当初はフレイジャーと噛み合わないのではないかという声も聞かれた。しかし、そんな懸念は完全に杞憂に終わる。フレイジャーとのケミストリーでニューヨークを席巻した“アール・ザ・パール”は、73年のファイナル制覇の立役者の1人になった。
通算得点ではチーム史上8位。華麗なプレースタイルにも定評があり、リーグが96年に発表した「史上最も偉大な50選手」にも名を連ねている。90年代にファンから絶大な人気を誇ったジョン・スタークス、90年代後半~2000年代初頭にエースを務めたアラン・ヒューストンも印象深いが、ここはやはり優勝チームのプレーメーカーだったモンローを上に据えるべきだろう。
【ポイントガード】
ウォルト・フレイジャー
1945年3月29日生。193cm・91kg
在籍期間:10シーズン(1967~77年)
成績:825試合、平均19.3点、5.9リバウンド、6.1アシスト
ニックスの歴代最高PGは“クライド”の愛称で親しまれたフレイジャー以外にいない。ニューヨークで過ごした10年間で平均19.3点、6.3アシストをマークし、オールスターに7回出場。得点力に秀で、同時にフリーのチームメイトを見つけるのが上手な“フロア・ジェネラル”でもあった。守備力もハイレベルで、オールディフェンシブ1stチームに7度も選ばれてるのも見逃せない。
スター性抜群のチームリーダーだったフレイジャーは、1970、73年とチームの2度の優勝に大きく貢献。中でも同僚ウィリス・リードが足を引きずって出場したことで有名な70年のファイナル第7戦で、ロサンゼルス・レイカーズを相手に36得点、19アシストと大爆発した活躍は語り継がれる。近年のニックスは確固たるエースPGの不在に悩まされており、フレイジャーが君臨した時代を懐かしむオールドファンは少なくない。
【シューティングガード】
アール・モンロー
1944年9月21日生。191cm・84kg
在籍期間:10シーズン(1971~80年)
成績:598試合、平均16.2点、2.6リバウンド、3.5アシスト
1971-72シーズン途中にモンローがボルティモア・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)からトレードで加入したが、当初はフレイジャーと噛み合わないのではないかという声も聞かれた。しかし、そんな懸念は完全に杞憂に終わる。フレイジャーとのケミストリーでニューヨークを席巻した“アール・ザ・パール”は、73年のファイナル制覇の立役者の1人になった。
通算得点ではチーム史上8位。華麗なプレースタイルにも定評があり、リーグが96年に発表した「史上最も偉大な50選手」にも名を連ねている。90年代にファンから絶大な人気を誇ったジョン・スタークス、90年代後半~2000年代初頭にエースを務めたアラン・ヒューストンも印象深いが、ここはやはり優勝チームのプレーメーカーだったモンローを上に据えるべきだろう。