【シューティングガード】
ギルバート・アリナス
1982年1月6日生。191センチ・86キロ
カレッジ成績:70試合、平均15.8点、3.8リバウンド、2.2アシスト
NBA成績:552試合、平均20.7点、3.9リバウンド、5.3アシスト
09-10シーズンに平均7.2アシストを記録したプレーメーカーとしての才能以上に、得点力の高さで強烈なインパクトを残した選手で、本職のPGではなくSGとして選出した。
01年のドラフトではゴールデンステイト・ウォリアーズの2巡目(31位)指名。この屈辱をバネにして2年目の02-03シーズンはMIPに選ばれ、ワシントン・ウィザーズへ移籍後の04-05シーズンは平均25.5点。同年から3年連続でオールスターに出場し、05-06シーズンは29.3点、翌年もリーグ3位の28.4点。キャリアハイの60得点を挙げた12月17日のロサンゼルス・レイカーズ戦では、オーバータイムだけで16得点の新記録も打ち立てた。
同年に左ヒザ前十字靭帯断裂の重傷を負って以降は輝きを失い、さらにはロッカールームへ銃を持ち込む騒動も起こして、30歳でNBAから去ってしまった。背番号0だったことから“エージェント・ゼロ”、「火鉢のように熱くなる」ため“ヒバチ”など、ユニークなニックネームでも知られた。
【スモールフォワード】
ショーン・エリオット
1968年2月2日生。203センチ・92キロ
カレッジ成績:133試合、平均19.2点、6.1リバウンド、3.4アシスト
NBA成績:742試合、平均14.2点、4.3リバウンド、2.6アシスト
アリゾナ大からNBAで最初のスターとなったのがエリオットである。大学ではスティーブ・カーの1年後輩、野球部兼任でのちにMLBで大活躍したケニー・ロフトンと同学年。通算2555得点は学校記録で、ウッデン賞(大学最優秀選手)をはじめ9つの個人賞に輝き、89年ドラフト3位でサンアントニオ・スパーズに入団した。
スピードを生かしたドライブと正確なジャンプショットで、ルーキーシーズンから先発SFの座を確保。平均17.2点をあげた92-93シーズンはオールスターに初出場、翌年デニス・ロッドマンとの交換でデトロイト・ピストンズへ移ったが、1年後にスパーズに復帰した。
チームメイトにもファンにも愛された好漢で、自己最高の平均20.0点をマークした95-96シーズンに2度目の球宴出場。その後は故障や持病の腎臓疾患もあって出場機会が減少したが、99年はカンファレンス決勝第2戦で決勝の逆転3ポイントを決めるなど、チームの初優勝に大いに力があった。
ギルバート・アリナス
1982年1月6日生。191センチ・86キロ
カレッジ成績:70試合、平均15.8点、3.8リバウンド、2.2アシスト
NBA成績:552試合、平均20.7点、3.9リバウンド、5.3アシスト
09-10シーズンに平均7.2アシストを記録したプレーメーカーとしての才能以上に、得点力の高さで強烈なインパクトを残した選手で、本職のPGではなくSGとして選出した。
01年のドラフトではゴールデンステイト・ウォリアーズの2巡目(31位)指名。この屈辱をバネにして2年目の02-03シーズンはMIPに選ばれ、ワシントン・ウィザーズへ移籍後の04-05シーズンは平均25.5点。同年から3年連続でオールスターに出場し、05-06シーズンは29.3点、翌年もリーグ3位の28.4点。キャリアハイの60得点を挙げた12月17日のロサンゼルス・レイカーズ戦では、オーバータイムだけで16得点の新記録も打ち立てた。
同年に左ヒザ前十字靭帯断裂の重傷を負って以降は輝きを失い、さらにはロッカールームへ銃を持ち込む騒動も起こして、30歳でNBAから去ってしまった。背番号0だったことから“エージェント・ゼロ”、「火鉢のように熱くなる」ため“ヒバチ”など、ユニークなニックネームでも知られた。
【スモールフォワード】
ショーン・エリオット
1968年2月2日生。203センチ・92キロ
カレッジ成績:133試合、平均19.2点、6.1リバウンド、3.4アシスト
NBA成績:742試合、平均14.2点、4.3リバウンド、2.6アシスト
アリゾナ大からNBAで最初のスターとなったのがエリオットである。大学ではスティーブ・カーの1年後輩、野球部兼任でのちにMLBで大活躍したケニー・ロフトンと同学年。通算2555得点は学校記録で、ウッデン賞(大学最優秀選手)をはじめ9つの個人賞に輝き、89年ドラフト3位でサンアントニオ・スパーズに入団した。
スピードを生かしたドライブと正確なジャンプショットで、ルーキーシーズンから先発SFの座を確保。平均17.2点をあげた92-93シーズンはオールスターに初出場、翌年デニス・ロッドマンとの交換でデトロイト・ピストンズへ移ったが、1年後にスパーズに復帰した。
チームメイトにもファンにも愛された好漢で、自己最高の平均20.0点をマークした95-96シーズンに2度目の球宴出場。その後は故障や持病の腎臓疾患もあって出場機会が減少したが、99年はカンファレンス決勝第2戦で決勝の逆転3ポイントを決めるなど、チームの初優勝に大いに力があった。
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