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NBA

神に行く手を塞がれたウィルキンス。アトランタ最大のスターが“故郷”で叶えた夢【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.07.22

■故郷で果たした“優勝”と幻のNBA歴代ベスト50人

 クリッパーズに半年、翌年セルティックスに1年在籍したのち、ウィルキンスは新天地をギリシアの名門パナシナイコスに求めた。96年、欧州最高峰の大会であるユーロリーグはパリで開催され、ウィルキンスはファイナルMVPに選ばれる大活躍でチームを優勝に導いた。NBAでは叶わなかったチャンピオンの夢が、生まれ故郷で実現したのも運命だったのかもしれない。

 その後サンアントニオ・スパーズでNBAに戻り、イタリアのボローニャを経て、最後は弟ジェラルドとともにオーランド・マジックで1年だけプレー。引退後はホークスに復帰してフロントで働き、ホークス戦の解説者やバスケットボール・アカデミーの運営などに携わっている。
 
 2006年にはバスケットボール殿堂入りを果たしたが、96年にNBA50周年を記念して選出されたベスト50人には入らなかった。得点記録はもちろんのこと、インパクトの大きさなどを考慮しても、不当に低い評価と言わざるを得ない。実績でウィルキンスを下回る選手たちが、優勝チームの一員という理由で選ばれたことを考えると、NBAで一度でも優勝していれば――あるいはジョーダンの登場が数年遅れていたなら――歴史的な位置づけは違っていたかもしれない。

「50人の偉大な選手には入らなかったかもしれない。でも自分の心の中では、私は偉大な25人に入っているよ」とウィルキンスは誇りを持って語る。彼のダンクに心躍らせた多くのファンも、同じ意見であるはずだ。

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2009年3月号掲載原稿に加筆・修正
 
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