殿堂入り式典で、クーコッチのプレゼンターを務めるのはジョーダンとブルズのオーナーのジェリー・ラインズドーフ。ジョーダンについて、クーコッチは「彼は最高のチームメイトというわけではなかった。でも練習ではチームの皆をより良い選手になるようプッシュしてくれた」と語り、さらにこう続けた。
「私のスピーチがどんな内容になるのかは言いたくないな。だけど私たちの練習というのは、試合でプレーしていたものよりもハードだったのは事実さ。そこにはいつもマイケルとスコッティ、それにフィル(ジャクソン・ヘッドコーチ)がいて、より良い選手になるチャンスがあると信じてくれていた。どんな時でも、そこには何か新しいことを学べるものがあった。我々が3連覇できた最大の要因のひとつだったと私は思っているよ」
NBAの中でも確かな実力者として知られたクーコッチは、ブルズ以外のチームであれば、もっと多くのプレータイムとシュート機会を手にし、エース級の成績を残すことができたかもしれない。だが元チームメイトのランディ・ブラウンは9日、『NBA.com』に掲載された記事の中で、こう証言する。
「彼には全くエゴがなかったね。トニー・クーコッチが練習で、自身のショット数について不満を口にしたことがあったか記憶にないんだ。フィルはほかのチームであれば彼がスターターになっていただろうと分かっていた。でもマイケル、スコッティ、ロッドマンとプレーすることにトニーが文句を言うことは一度もなかった」
90年代のNBAはフィジカルコンタクト全盛で、ペイントエリアでは屈強な肉体を持つ選手たちが毎試合のように肉弾戦を繰り広げていた。そのため、ディフェンスに難のあったクーコッチは苦しんでいた。
だがブラウンは「僕がサクラメントにいた時、彼のディフェンスを穴として突いていた。でも彼は決して諦めたり、降参したりはしなかったね。すごくスマートで、何をすべきかしっかり理解していたんだ」と、クーコッチの奮闘ぶりを明かしている。
ハンドチェックがなく、ポジションレス化が進む現代でプレーしていれば、クーコッチは当時よりもハイレベルなスタッツを残していたかもしれない。だが90年代の黄金期ブルズの一員だったからこそ、自身の能力を生かし、その名を轟かすことができたとも言えるだろう。
文●秋山裕之(フリーライター)
「私のスピーチがどんな内容になるのかは言いたくないな。だけど私たちの練習というのは、試合でプレーしていたものよりもハードだったのは事実さ。そこにはいつもマイケルとスコッティ、それにフィル(ジャクソン・ヘッドコーチ)がいて、より良い選手になるチャンスがあると信じてくれていた。どんな時でも、そこには何か新しいことを学べるものがあった。我々が3連覇できた最大の要因のひとつだったと私は思っているよ」
NBAの中でも確かな実力者として知られたクーコッチは、ブルズ以外のチームであれば、もっと多くのプレータイムとシュート機会を手にし、エース級の成績を残すことができたかもしれない。だが元チームメイトのランディ・ブラウンは9日、『NBA.com』に掲載された記事の中で、こう証言する。
「彼には全くエゴがなかったね。トニー・クーコッチが練習で、自身のショット数について不満を口にしたことがあったか記憶にないんだ。フィルはほかのチームであれば彼がスターターになっていただろうと分かっていた。でもマイケル、スコッティ、ロッドマンとプレーすることにトニーが文句を言うことは一度もなかった」
90年代のNBAはフィジカルコンタクト全盛で、ペイントエリアでは屈強な肉体を持つ選手たちが毎試合のように肉弾戦を繰り広げていた。そのため、ディフェンスに難のあったクーコッチは苦しんでいた。
だがブラウンは「僕がサクラメントにいた時、彼のディフェンスを穴として突いていた。でも彼は決して諦めたり、降参したりはしなかったね。すごくスマートで、何をすべきかしっかり理解していたんだ」と、クーコッチの奮闘ぶりを明かしている。
ハンドチェックがなく、ポジションレス化が進む現代でプレーしていれば、クーコッチは当時よりもハイレベルなスタッツを残していたかもしれない。だが90年代の黄金期ブルズの一員だったからこそ、自身の能力を生かし、その名を轟かすことができたとも言えるだろう。
文●秋山裕之(フリーライター)