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NBA

シアトル・スーパーソニックス移転の真実。フランチャイズ契約時の虚偽の約束が明らかに【NBA秘話|前編】<DUNKSHOOT>

大井成義

2021.10.04

■1990年代は人気・実力とも絶頂だが、2001年からの混迷の時代に…

 シアトルはアメリカ西海岸の最北に位置するワシントン州の中心都市。2008年夏、ソニックスはそこから遠く離れたアメリカ南中部オクラホマ州のオクラホマシティに移転し、チーム名は“オクラホマシティ・サンダー”へと変更された。それから13年が経ち、ソニックスを知らないNBAファンの数もだいぶ増えたことだろう。そこで本題に入る前に、ソニックスの歴史やチームについて説明を少々。

 1966年、ビジネスマンのサム・シュルマンがシアトルにスーパーソニックスを創設、翌1967年からエクスパンションチームとしてNBAへ参戦する。シアトルに初めて誕生した4大プロスポーツのチームだった。チーム名は、シアトルを代表する企業のひとつ、ボーイング社が、政府主導による“スーパーソニック(超音速)”のプロジェクトに当時参加していたことから、シュルマンによって名付けられた。

 チーム創成期には、選手兼HCとしてレニー・ウィルケンズが活躍。最初に在籍したスター選手は、1960年代終盤から1970年代前半にかけて一世を風靡し、初めてABAからNBAに移籍した先駆者、スペンサー・ヘイウッド。1970年代にはビル・ラッセルが指揮を執った。1979年、再びHCに就任していたウィルケンズが初優勝をもたらす。1983年、地元メディア界の大立者、バリー・アクリーにチームを売却。そして1989年にショーン・ケンプが、1990年にゲイリー・ペイトンがドラフトで入団する。
 
 1990年代初頭からNBAを観始めた日本の多くの古参ファンにとって、ソニックスはある種特別な存在だったのではないだろうか。現地のアメリカ人にとっても同様であり、前出のシモンズは以前こんなツイートを残している。

“ソニックスはNBAの中で最も象徴的なフランチャイズだった……、2008年にOKCへ締め出されるまでは。”

 自然と文化がバランスよく調和した、全米でもトップクラスの人気都市シアトルにフランチャイズを持ち、ノリの良さと勢いがあって、若手とベテラン選手が見事に融合した理想的なチーム。ケンプとペイトンという、リーグを代表するスーパーデュオが披露する桁外れにエキサイティングなプレーの数々は、一瞬にして観る者を虜にし、そこにデトレフ・シュレンプ、サム・パーキンス、そしてハーシー・ホーキンスといった魅力的なサポーティングキャストが彩りを添えた。
 
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