ハブリチェック、マリン以外にもう1人、10年以上17番で通したのがブラジル出身のアンダーソン・ヴァレジャオだ。1998年に母国のクラブチームに入団した際に、たまたま空いていた番号をクリーブランド・キャバリアーズでも継続して着用。ウォリアーズへ移籍した際はマリンの欠番だったので18番に変更したが、4年ぶりにNBAへ復帰した昨季はキャブズで17番を復活させた。
現役の17番はヴァレジャオ以外にもシュルーダー(今季はセルティックスで17をひっくり返した71番)、リトアニア人のヨナス・ヴァランチュナス(ニューオリンズ・ペリカンズ)、ナイジェリア移民のオニエカ・オコング(ホークス)ら海外組、もしくはルーツがアメリカ以外の選手が目立つ。シュルーダーの17は亡き父親の好きだった数字であり、かつドラフト17位指名だったことから、ヴァランチュナスは母国の代表チームに初めて選ばれたときの年齢から来ている。
1990~2000年代に、強豪チームで縁の下の力持ちとして活躍した17番は、マリオ・エリー、フォックス、ブレント・バリーらが思い浮かぶ。エリーはヒューストン・ロケッツとサンアントニオ・スパーズで優勝経験があり、どちらの球団でも17番。バリーはマイアミ・ヒート、スパーズ、ロケッツ在籍時に17で、兄ジョンも同番号をつけた経験がある。
ニックスの控えポイントガードだったチャーリー・ウォードも、これまたスパーズとロケッツで17番。両球団とも17番をつけた順番はエリー→ウォード→バリーで、間に他の選手は挟まっていない。スポーツ万能だったウォードは、1993年には大学フットボールの最優秀選手であるハイズマン賞に輝き、またMLBのドラフトでも1993、94年に2年続けて指名された。
ジーン・コンリーはもともとMLBの投手だったが、1953年にセルティックスで1年間だけ17番でプレー。その後5年間は野球に専念し、3度オールスターに選ばれた。そして1959年にNBAに復帰すると、ビル・ラッセルの控えセンターとして、セルティックスの3度の優勝に貢献している。
現役の17番はヴァレジャオ以外にもシュルーダー(今季はセルティックスで17をひっくり返した71番)、リトアニア人のヨナス・ヴァランチュナス(ニューオリンズ・ペリカンズ)、ナイジェリア移民のオニエカ・オコング(ホークス)ら海外組、もしくはルーツがアメリカ以外の選手が目立つ。シュルーダーの17は亡き父親の好きだった数字であり、かつドラフト17位指名だったことから、ヴァランチュナスは母国の代表チームに初めて選ばれたときの年齢から来ている。
1990~2000年代に、強豪チームで縁の下の力持ちとして活躍した17番は、マリオ・エリー、フォックス、ブレント・バリーらが思い浮かぶ。エリーはヒューストン・ロケッツとサンアントニオ・スパーズで優勝経験があり、どちらの球団でも17番。バリーはマイアミ・ヒート、スパーズ、ロケッツ在籍時に17で、兄ジョンも同番号をつけた経験がある。
ニックスの控えポイントガードだったチャーリー・ウォードも、これまたスパーズとロケッツで17番。両球団とも17番をつけた順番はエリー→ウォード→バリーで、間に他の選手は挟まっていない。スポーツ万能だったウォードは、1993年には大学フットボールの最優秀選手であるハイズマン賞に輝き、またMLBのドラフトでも1993、94年に2年続けて指名された。
ジーン・コンリーはもともとMLBの投手だったが、1953年にセルティックスで1年間だけ17番でプレー。その後5年間は野球に専念し、3度オールスターに選ばれた。そして1959年にNBAに復帰すると、ビル・ラッセルの控えセンターとして、セルティックスの3度の優勝に貢献している。
関連記事
- 【NBA背番号外伝】代表格はジノビリ、ペイトン、アレン。ガードの名手たちが着用した「20番」を振り返る<DUNKSHOOT>
- 【NBA背番号外伝】最も有名なのは“奇才”ロッドマン! 名PGが愛用した「10番」を振り返る<DUNKSHOOT>
- 【NBA背番号外伝】現役の代表格はシモンズ。過去にはカーやオリーらシューターが着用した「25番」<DUNKSHOOT>
- 【NBA背番号外伝】ジャバー、バード、ピッペンが着用し人気が爆発!バスケ選手の憧れのナンバー「33」の歴史<DUNKSHOOT>
- 【NBA背番号外伝】初の欠番ホーキンスを筆頭に、ウォージー、ブランドら職人選手が多く着用した「42」の歴史<DUNKSHOOT>