ヴァンダウェイが去ったナゲッツには、91年にコンゴ民主共和国出身の巨人、ディケンベ・ムトンボが入団。ジョージタウン大時代に「最初は15番を希望していたけど、コーチの方針でビッグマンは若い番号を貰えず、55番にしろと言われたんだ」という理由で55番をつけると、42歳で引退するまで、ヴァンダウェイ同様所属した6球団すべてでひとつの番号を通した。
94年から3年連続ブロック王、アトランタ・ホークス移籍後の00、01年は2年連続リバウンド王になるなど、計4度の最優秀守備選手賞に輝いた。人道的活動でも名高く、殿堂入りを果たしているほか、55番では初の永久欠番(ホークス)ともなった。
殿堂入り選手では、NBA初期のスターだったドルフ・シェイズもルーキーイヤーのみ55番をつけたことがあるが、キャリアの大半は背番号4。息子のダニーは、高校時代に55番で欠番にまでなっているにもかかわらず、18年のプロ生活で一度も同番号をつけなかった。
ムトンボの母校ジョージタウン大には欠番制度がなく、その後もジャハイディ・ホワイト、ロイ・ヒバートらビッグマンが55番を受け継いだ。現在、同大学で55番を着けているのはビクトル・ミュアサン。NBA史上最長身選手(231センチ)ジョージ・ミュアサンの息子である。
55番の実力派ビッグマンとしては、アントワン・カーも挙げられる。最盛期にはキングスで平均20点以上をマークしたが、当時の背番号は35で、94年にユタ・ジャズへ移籍し55番に変更。カール・マローンの控えとして、97、98年の2年連続カンファレンス制覇を支えた。90~00年代にかけては、ロレンゼン・ライトやアンドリュー・デクラーク、前出のホワイト、ヒバートら、あまり目立ちはしないが55番の先発級センターが何人もいた。
そのほか、80年代には名スコアラーであるバーナード・キングの弟アルバートがネッツで活躍。現役ではダンカン・ロビンソン(ヒート)ら4人が55番を使っている。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2015年9月号掲載原稿に加筆・修正
94年から3年連続ブロック王、アトランタ・ホークス移籍後の00、01年は2年連続リバウンド王になるなど、計4度の最優秀守備選手賞に輝いた。人道的活動でも名高く、殿堂入りを果たしているほか、55番では初の永久欠番(ホークス)ともなった。
殿堂入り選手では、NBA初期のスターだったドルフ・シェイズもルーキーイヤーのみ55番をつけたことがあるが、キャリアの大半は背番号4。息子のダニーは、高校時代に55番で欠番にまでなっているにもかかわらず、18年のプロ生活で一度も同番号をつけなかった。
ムトンボの母校ジョージタウン大には欠番制度がなく、その後もジャハイディ・ホワイト、ロイ・ヒバートらビッグマンが55番を受け継いだ。現在、同大学で55番を着けているのはビクトル・ミュアサン。NBA史上最長身選手(231センチ)ジョージ・ミュアサンの息子である。
55番の実力派ビッグマンとしては、アントワン・カーも挙げられる。最盛期にはキングスで平均20点以上をマークしたが、当時の背番号は35で、94年にユタ・ジャズへ移籍し55番に変更。カール・マローンの控えとして、97、98年の2年連続カンファレンス制覇を支えた。90~00年代にかけては、ロレンゼン・ライトやアンドリュー・デクラーク、前出のホワイト、ヒバートら、あまり目立ちはしないが55番の先発級センターが何人もいた。
そのほか、80年代には名スコアラーであるバーナード・キングの弟アルバートがネッツで活躍。現役ではダンカン・ロビンソン(ヒート)ら4人が55番を使っている。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2015年9月号掲載原稿に加筆・修正