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NBA

「成功するには練習あるのみ」偉大な父の教えを胸に、NBAで成長を続けるドマンタス・サボニス<DUNKSHOOT>

小川由紀子

2022.01.11

 両親はリトアニアのリゾート地パランガでホテルを経営しているが、そこに滞在している時も、オーナー家族といった振る舞いは一切せずに、飲み物は自分で取りに行ったりなど、自分のことは自分でやるのがサボニス家のルールだ。

 父は3人の息子にバスケットボールを勧めたことはなく、3人とも自分の意志でプレーを始めたようだが、その中で「この頑固さと左利き、選手になるとしたらこの子だろう」と父が予測していたのが三男坊のドマンタスだった。

 次男のトートビアスとドマンタスは、父が現役引退後に一家で移住したスペインのマラガのプロクラブ、ウニカハのユースアカデミーでプレーを始めた。

 17歳で当時スペインリーグ出場最年少選手となり、ユーロリーグの試合にも出ていたドマンタスには高額のプロ契約がオファーされたが、それを蹴ってアメリカのゴンザガ大への進学を選択。ちなみに、2歳違いの八村塁とはちょうど入れ違いだった。

 大学時代の彼は「休みを取ることの方が苦痛」というほど練習の虫で、「ドマスは体育館に住んでいる」といったジョークもあった。夜中にもこっそり忍び込んで個人練習をしていたため、体育館を施錠することになったエピソードもある。
 
 コートビジョンやゲームの流れを読むことに関しては、少年時代から「図抜けていた」と歴代のコーチやチームメイトたちは異口同音に証言している。ガード級のパススキルを誇った父のプレーを見て育ったのだから、幼少時から自然に養われた才でもあったのだろう。

 一方で、アメリカ人選手たちと比べてパワーや俊敏性、スピードが劣ることを自覚していたドマンタスが懸命に取り組んだのが、スクリーンでの壁の作り方や、ゴール下でのポジショニング、シューティング、そして、左利きの彼をブロックにくる敵を欺くための右でのプレーだった。アスレティック能力を向上させるため、ホットヨガや食事療法を取り入れた肉体改造にも励んだ。
 
 16年のドラフト参加を表明したときには、「アスレティック能力と爆発力の欠如」を理由にNBAで通用する能力を疑問視したスカウトも少なくなかった。1巡目11位でオーランド・マジックから指名されるも、デビューしたサンダーではわずか1年でトレードに出され、「将来性がないと判断された」とネガティブな声も挙がった。

 実際、「サンダーからトレードされたあとはものすごく苦労していた」と、リトアニア代表とマラガで共闘し、ニューヨーク・ニックスでもプレー経験のあるミンダウガス・クズミンスカスは、当時の彼の苦悩を明かした。だが「でもあれがあったから、彼の真の才能を開花させるチャンスを得ることができたんだ」と続けた。
 
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