【シューティングガード】
マイケル・ジョーダン
1963年2月17日生。198cm・98kg
キャリアスタッツ:1072試合、平均30.1点、6.2リバウンド、5.3アシスト
スラムダンク・コンテスト:出場3回(1985、87、88年)、優勝2回(87、88年)
ジョーダン以前にも素晴らしいダンカーは何人もいた。ジョーダン以降に現われ、彼以上との評判を取ったダンカーもいる。それでも、NBA=ダンクというイメージを世界中に印象づけた立役者であり、歴史的重要性という観点でもジョーダンを選出しないわけにはいかない。
重力の法則に逆らうような長い滞空時間だけでなく、空中でさらに一段階浮上しているように見えるダンクから、ついた異名は“エア・ジョーダン”。これはそのまま彼のシューズのブランド名となり、ファッションの面からも多大な影響を与えた。
スラムダンク・コンテストでは87・88年に2連覇を達成。88年の優勝を決めた、フリースローラインから踏み切って叩き込んだ“レーンアップ”は伝説となっている。
ほかに名ダンカーとして知られたSGには、ジョーダンの憧れの存在だったデイビッド・トンプソンをはじめ、クライド・ドレクスラー、コビー・ブライアント、そしてヴィンス・カーターなど、誰が選ばれてもおかしくない顔ぶれが揃っている。
【スモールフォワード】
ジュリアス・アービング
1950年2月22日生。201cm・95kg
キャリアスタッツ:836試合、平均22.0点、6.7リバウンド、3.9アシスト
スラムダンク・コンテスト:出場2回(1984、85年)、優勝0回
ジョーダン以前に、そして彼以上に華麗なダンクを披露したのが“ドクターJ”ことアービングだ。その姿は、さながら空高く舞い上がった猛禽類が、眼下の獲物目がけて一気に下降していくようであった。
並外れたジャンプ力の持ち主で、「ブロックしようとする相手が跳び上がり、落ちていくのを空中で待ってからダンクした」との発言も大袈裟には思えなかったほど。手がかなり大きく、ボールを片手で楽々つかむことが出来たのもダンクには有利だった。
75年に開催されたABA(1967~76年に存在したNBAのライバルリーグ)オールスターでの第1回スラムダンク・コンテストでは、レーンアップを決めて優勝。83年のファイナルで披露した全速力で走りながら叩き込んだウインドミルは、“ロック・ザ・ベイビー”と呼ばれ、NBAの歴史で最も有名なダンクのひとつである。
SFではほかに、コンテストにおけるジョーダンの最大の好敵手であり、2度の優勝経験を持つドミニク・ウィルキンスもいるが、今回は涙を飲んでもらった。
マイケル・ジョーダン
1963年2月17日生。198cm・98kg
キャリアスタッツ:1072試合、平均30.1点、6.2リバウンド、5.3アシスト
スラムダンク・コンテスト:出場3回(1985、87、88年)、優勝2回(87、88年)
ジョーダン以前にも素晴らしいダンカーは何人もいた。ジョーダン以降に現われ、彼以上との評判を取ったダンカーもいる。それでも、NBA=ダンクというイメージを世界中に印象づけた立役者であり、歴史的重要性という観点でもジョーダンを選出しないわけにはいかない。
重力の法則に逆らうような長い滞空時間だけでなく、空中でさらに一段階浮上しているように見えるダンクから、ついた異名は“エア・ジョーダン”。これはそのまま彼のシューズのブランド名となり、ファッションの面からも多大な影響を与えた。
スラムダンク・コンテストでは87・88年に2連覇を達成。88年の優勝を決めた、フリースローラインから踏み切って叩き込んだ“レーンアップ”は伝説となっている。
ほかに名ダンカーとして知られたSGには、ジョーダンの憧れの存在だったデイビッド・トンプソンをはじめ、クライド・ドレクスラー、コビー・ブライアント、そしてヴィンス・カーターなど、誰が選ばれてもおかしくない顔ぶれが揃っている。
【スモールフォワード】
ジュリアス・アービング
1950年2月22日生。201cm・95kg
キャリアスタッツ:836試合、平均22.0点、6.7リバウンド、3.9アシスト
スラムダンク・コンテスト:出場2回(1984、85年)、優勝0回
ジョーダン以前に、そして彼以上に華麗なダンクを披露したのが“ドクターJ”ことアービングだ。その姿は、さながら空高く舞い上がった猛禽類が、眼下の獲物目がけて一気に下降していくようであった。
並外れたジャンプ力の持ち主で、「ブロックしようとする相手が跳び上がり、落ちていくのを空中で待ってからダンクした」との発言も大袈裟には思えなかったほど。手がかなり大きく、ボールを片手で楽々つかむことが出来たのもダンクには有利だった。
75年に開催されたABA(1967~76年に存在したNBAのライバルリーグ)オールスターでの第1回スラムダンク・コンテストでは、レーンアップを決めて優勝。83年のファイナルで披露した全速力で走りながら叩き込んだウインドミルは、“ロック・ザ・ベイビー”と呼ばれ、NBAの歴史で最も有名なダンクのひとつである。
SFではほかに、コンテストにおけるジョーダンの最大の好敵手であり、2度の優勝経験を持つドミニク・ウィルキンスもいるが、今回は涙を飲んでもらった。