【スモールフォワード】
ドン・メイ
1946年1月3日生。193cm・91kg
キャリアスタッツ:379試合、平均8.8点、3.5リバウンド、1.0アシスト
ベストシーズン(1970-71):平均20.2点、7.5リバウンド、2.0アシスト
好成績を残したシーズンが1年のみという、正真正銘の一発屋。68年に入団したニューヨーク・ニックスでは2年間で平均3.5点。70年にチームが初優勝したのでチャンピオンリングを手にしたが、ファイナルでの出番はなかった。
同年のエクスパンション・ドラフトで新設されたブレーブスへ移ると、新天地でのデビュー戦、すなわち球団初試合で自己記録を更新する24得点。3月2日には強豪ロサンゼルス・レイカーズ相手に40点を奪うなど、シーズンでは前年の約8倍となる平均20.2点を残した。
だが同年オフにアトランタ・ホークスへトレードされると、以前のような平凡な選手に戻ってしまう。カーター・ウィリアムズ同様、人材不足の新球団だから目立っただけだったようで、平均8点以上を記録したのは前述の70-71シーズンだけだった。
近年では、2004-05シーズンに前年の7.8点から16.4点へ数字をアップさせMIPに輝いたボビー・シモンズが、クリッパーズからバックスへ移籍した翌年以降に成績を急落させている。
【パワーフォワード】
アントワン・カー
1961年7月23日生。206cm・102kg
キャリアスタッツ:987試合、平均9.3点、3.4リバウンド、1.1アシスト
ベストシーズン(1990-91):平均20.1点、5.5リバウンド、2.5アシスト
日本では、ドリームチームが脚光を浴びた92年バルセロナ五輪以降にNBAを見始めた人が大半だろう。そうした人たちにとって、カーはマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズと2年連続でファイナルを戦った、ユタ・ジャズの堅実な控えビッグマンとの印象が強いはずだ。
しかしそれよりも前のサクラメント・キングス時代には、短期間だがエース級の成績を残したことがあった。84年にホークスでキャリアを始め、89-90シーズン途中にキングスへトレードされると、平均得点は移籍前の7.6点から18.6点へ急上昇。翌年もベンチ出場ながら点を取りまくって先発へ昇格した。
頑強な肉体を生かしてペイントで得点を稼ぎ、2月20日のクリーブランド・キャバリアーズ戦では自己最多の41得点。先発での48試合中47試合で2桁得点と、抜群の安定感を誇った。しかしサンアントニオ・スパーズへ移籍した翌年は控えに戻り、10.9点と得点も半減。以後は前述の通り、頼れるバックアップ要員として38歳まで現役を続けた。
ドン・メイ
1946年1月3日生。193cm・91kg
キャリアスタッツ:379試合、平均8.8点、3.5リバウンド、1.0アシスト
ベストシーズン(1970-71):平均20.2点、7.5リバウンド、2.0アシスト
好成績を残したシーズンが1年のみという、正真正銘の一発屋。68年に入団したニューヨーク・ニックスでは2年間で平均3.5点。70年にチームが初優勝したのでチャンピオンリングを手にしたが、ファイナルでの出番はなかった。
同年のエクスパンション・ドラフトで新設されたブレーブスへ移ると、新天地でのデビュー戦、すなわち球団初試合で自己記録を更新する24得点。3月2日には強豪ロサンゼルス・レイカーズ相手に40点を奪うなど、シーズンでは前年の約8倍となる平均20.2点を残した。
だが同年オフにアトランタ・ホークスへトレードされると、以前のような平凡な選手に戻ってしまう。カーター・ウィリアムズ同様、人材不足の新球団だから目立っただけだったようで、平均8点以上を記録したのは前述の70-71シーズンだけだった。
近年では、2004-05シーズンに前年の7.8点から16.4点へ数字をアップさせMIPに輝いたボビー・シモンズが、クリッパーズからバックスへ移籍した翌年以降に成績を急落させている。
【パワーフォワード】
アントワン・カー
1961年7月23日生。206cm・102kg
キャリアスタッツ:987試合、平均9.3点、3.4リバウンド、1.1アシスト
ベストシーズン(1990-91):平均20.1点、5.5リバウンド、2.5アシスト
日本では、ドリームチームが脚光を浴びた92年バルセロナ五輪以降にNBAを見始めた人が大半だろう。そうした人たちにとって、カーはマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズと2年連続でファイナルを戦った、ユタ・ジャズの堅実な控えビッグマンとの印象が強いはずだ。
しかしそれよりも前のサクラメント・キングス時代には、短期間だがエース級の成績を残したことがあった。84年にホークスでキャリアを始め、89-90シーズン途中にキングスへトレードされると、平均得点は移籍前の7.6点から18.6点へ急上昇。翌年もベンチ出場ながら点を取りまくって先発へ昇格した。
頑強な肉体を生かしてペイントで得点を稼ぎ、2月20日のクリーブランド・キャバリアーズ戦では自己最多の41得点。先発での48試合中47試合で2桁得点と、抜群の安定感を誇った。しかしサンアントニオ・スパーズへ移籍した翌年は控えに戻り、10.9点と得点も半減。以後は前述の通り、頼れるバックアップ要員として38歳まで現役を続けた。