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NBA

クリス・マリン——日々の努力と一級品のバスケセンスでスターになった“西海岸のラリー・バード”【レジェンド列伝・前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.09.14

■NBA入り後、孤独に苛まれアルコールに溺れる

 最終学年となった翌86年には、セントジョンズを33年ぶりのNCAAトーナメントファイナル4進出に導く。 全国制覇の夢はユーイングを擁するジョージタウン大によって絶たれたものの、2年連続でオールアメリカンに選出され、ウッデン賞も受賞し、セントジョンズの通算得点記録も更新。 これは今でも破られることなく残っている。

 85年にドラフト7位でゴールデンステイト・ウォリアーズに入団すると、デビュー戦でいきなり決勝点を決め、 1年目は平均14.0点。フリースロー成功率89.6%は、新人記録にわずか0.6%及ばないだけだった。 理想的なフォームから放たれるジャンプショットだけでなく、レイアップにフェイダウェイ、 ランニングショットなど、 どんな種類のシュートも決められた。

 身体能力には恵まれていなくとも、バスケットボールセンスは一級品で、相手の一瞬の隙をついてスティールを決めたあたりも、バードを彷彿とさせた。

 2年目には82試合すべてに先発出場するなど、順調に成長していたかに見えたマリンだったが、その陰で深刻な問題を抱えていた。アルコールへの耽溺である。

 学生時代からマリンは大の酒好きだったが、それが依存症にまで悪化したのは、いくつかの心理的な要因があった。まずひとつは、ニューヨーク育ちの彼にとって、西海岸のライフスタイルは馴染みにくいものだったこと。もうひとつはチーム内に心を許せる友人がおらず、孤独に苛まれていたことだった。
 
「あの頃のウォリアーズは選手同士の仲が良くなかったし、誰もがバスケットボールを仕事としてしか見ていなかった。試合後に自主練習でもしていようものなら、白い目で見られるような状況だった」

 なかにはわざとマリンにボールを回そうとしない選手もいたほど、チーム状態は殺伐としていた。

 孤独を紛らせるためのアルコールは、日を追って量を増していった。 毎朝激しい頭痛とともに目を覚まし、「試合や自分のキャリアがどうでもいいものに思える」ようになるほど、肉体だけでなく精神も蝕んでいた。(後編に続く)

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2011年10月号原稿に加筆・修正
 
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