専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
NBA

NBA選手から政治家への華麗なる転身。“聖人”ケビン・ジョンソンの模範的なキャリア【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2023.04.19

 しかしながら、2000年3月にジェイソン・キッドが骨折したため、サンズ首脳陣からの要請を受けて復帰を決意。

「苦境を救えるのは君だけだと言われたら、チャレンジを受け入れるしかない」と語ったKJは、レギュラーシーズンの出場は6試合ながら、36分換算で平均12.7点、7.6アシストとブランクを感じさせず、プレーオフ進出に貢献した。

 シーズン終了後に今度こそ本当に引退。通算平均アシスト9.1本は、すでに引退している選手では5番目の数字だ。コラムニストのビル・シモンズは「もしKJがハンドチェック・ルールのない2000年代にプレーしていたら、平均30点、15アシストはできていただろう」と記している。この数字は多少大袈裟だとしても、確かにそう思わせるくらいの選手ではあった。
 
■困窮する少年たちを救うためサクラメント市長に転身

 1年だけNBCの解説者を務めたのち、母校に戻って政治学の学位を取得。ハーバードの神学校にも通い、信仰をベースにした都市再生計画を学んだ。特に教育についての関心が高く、困難な環境にある子どもたちのために、自らサクラメントに学校を設立。人気トーク番組『オプラ・ウィンフリー・ショー』でもKJの取り組みは大々的に紹介されて、大きな反響を呼んだ。

「一緒に学校に通っていた連中には、塀の中にいたり、職を失ったり、この世にいない者さえいる。そして彼らの子どもたちもまた、同じような道を辿ろうとしている。そうした状況を目の当たりにしたら、何らかの行動を起こさずにはいられないんだ」

 2008年、満を持してサクラメント市長選に立候補すると、激烈な選挙戦を勝ち抜いて、黒人層が人口の15%しかいない街で当選を果たした。2009年にはバスケットボール好きのバラク・オバマ大統領の就任式にも招かれ、45歳にして初めて伴侶も得た。ホームレス対策や、引き続き教育問題に熱心に取り組んだ成果を評価され、2012年に再選。2014~15年にはサクラメント市長としては初めて、全米市長会の会長に選ばれた。

 私人としても公人としても、現役時代以上に多忙で充実した日々を送ったKJ。2016年限りで任期満了にともない市長の座から退いたが、今もサクラメントで慈善活動に携わっている。

 彼の祖父は、KJに「善きサマリア人であれ」と説いたという。聖書に登場する善意の人物のことであるが、実際にKJはそのような人間に育った。そして、彼のような人間を育てるために、日々努力したのだった。

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2011年12月号原稿に加筆・修正

【PHOTO】オラジュワン、ジョーダン、バークレー、ペニー……NBAの歴史を彩った偉大なレジェンド特集!
NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号